新次元の資本主義危機 解明を怠り広がる恐慌
冷戦の終焉を挟み、ペレストロイカ(経済再建)やグラスノスチ(情報公開)で旧ソ連が急速な市場化により躍進を遂げる一方、中国は天安門事件の影響で政治的に孤立し経済的にも困難に陥る時期があった。両国の現実を前に、「中国の停滞、ソ連の成長」を予測する論調が当時は大勢を占めたが、財政金融学者の貝塚啓明氏は「どちらの国が長期的に経済発展に成功するのか、客観的なことは簡単に言えない」と述べ、拙速な議論に警鐘を鳴らした。いまから振り返れば学者らしい時流に媚びない慧眼だった。
前置きが少し長くなったが、今回の金融危機をめぐっても同じことが言える。マルクス経済学の視点から日本経済を分析する井村喜代子氏は「世界的金融危機の構図」で、「今回の金融危機は資本主義の歴史では経験したことのない新しい質のものであって、これまでの金融危機とは比べられない深刻な内容をもっている」と述べ、「百年に一度」とか「1929年大恐慌以来」という通俗的な見方を批判する。
井村氏によれば、ケインズに救済された資本主義は1970年代に「行き詰まり」、その後は米国主導の金融自由化と新自由主義政策によって「混沌たる情況に陥った」。その?末が「実体経済から独立した投機的金融活動」の世界的蔓延による今回の恐慌であり、いま求められているのは金ドル交換の停止で変質を遂げた「新しい」資本主義の理論的解明だと言う。その解明を怠り、未曾有の財政支出と金融緩和という旧態依然としたケインズ政策で、恐慌の克服を試みても「ますます多くの難題」が噴出するだけだと井村氏は警告する。対症療法的に「民」の膨大な損失(借金)を「公」が肩代わりしても、次は膨大な赤字を抱えた財政が市場の信頼を損失するギリシャ発の経済危機が、EU諸国をはじめ各国に伝染する恐れがあるからだ。
伊藤誠氏も「サブプライムから世界恐慌へ」で、今回の危機は「現代の資本主義経済の内的矛盾や不安定性」が原因だと指摘する。同氏もケインズの復活で今回の危機が丸く収まるという「大団円(ハッピーエンド)」のシナリオについては懐疑的であり、政府と中央銀行が裁量権を駆使して経済政策をフル稼働させても、労働者民衆にとって「安心感のもてる経済社会」が形成されるのか「予断を許さない」と言うのだ。
そもそもマルクスは恐慌を資本主義に内在する根本的矛盾と捉え、その周期的な発生が資本主義の崩壊として発現することを「資本論」の中心課題に据えたが、残念ながら議論は未完に終わった。宇野弘蔵氏はマルクスが完成させなかったからといって「果たされなくてもよいとはいえない課題」だと述べ、「恐慌論」でその解明に挑んだのだ。
宇野氏の議論を紹介する紙幅はないが、マルクスの「眼」で今回の危機を見れば、新自由主義を批判するだけでは済まない問題が浮かんでくる。ケインズは復活したのではなく、もしかしたら資本主義と一緒にとどめを刺されたのかもしれないからだ。
(北海道新聞「現代読書灯」2010年6月13日朝刊)
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