重商主義でデフレ定着 スミスの批判から学ぶ
政権交代から間もなく1年半が経過する。世論調査の結果をみるかぎり、民主党政権に対する国民の期待は冷え切っている。しかし、一方で自民党復権への期待が高まっているようにも見えない。それは社会経済学者の松原隆一郎氏が「日本経済論」で示すように、「反自民としての民主も、反民主としての自民も、積極的には支持されていない」からだ。松原氏は「カネで測られる国民総生産(GDP)の成長と、透明性の高い政府によるカネの再分配のいずれを優先するかという、自民対民主の構図こそが国民の懐疑にさらされている」と述べ、「カネの話だけで政治を語ってよいのか」と疑問を呈する。
松原氏によれば小泉改革を市場原理主義と解釈するのは誤りである。むしろ政治権力によって強制的に労働の規制緩和(市場化)を行い、低金利政策で円安を誘導し、輸出を振興することで「貿易差額の最大化」を目指した小泉改革は「重商主義」だと言う。その顛末が国際競争力の強化を口実にした賃金抑制であり、国内消費の低迷によるデフレの定着だというのだ。これに対して「生活第一」を掲げ、個人消費の活性化を通して内需拡大を図ろうとした民主党の「主張は、方向性としては正し」かった。ただ、子ども手当てや農家の戸別所得保障など「カネ」の給付(再分配)を中心に置く「バラマキ」に問題があったと松原氏は批判する。それでは、どうすればよいのか。
松原氏は、かつて重商主義を批判したアダム・スミスに学べという。松原氏によればスミスを自由主義者との呼ぶのは「俗説」に過ぎず、スミスの真骨頂は「資本は国内の農業、製造業、商業の順に投下」し、輸出や海外投資は最後にすべきだと唱えた「自然な資本投下の順序」説にあった。スミスの唱えた「同感(相手の立場になって考える)」は「身近な人や地域、そして国内の順」に通用するのだ。その意味で、「同感」の通用する順序を逆にして輸出を優先した小泉改革は「人の道徳意識に反してい」たと言う。
一方、スミスの「同感」は「利他心ではなくフェアネス(公平)であり、福祉ではなく倫理である」。松原氏の言葉を借りるなら「連帯感なき福祉は持続可能だろうか」という問いが「同感」には内在している。その意味で将来世代に膨大な借金を残してまで、現世代の福祉を追求する「生活第一」は小泉改革と同様に「同感」に反するのだ。
もちろん、経済政策のあり方をめぐって迷走を続けるのは日本だけではない。エコノミストの水野和夫氏と政治哲学者の萱野稔人氏が「超マクロ展望世界経済の真実」で語るように、今や資本主義というシステム自体が歴史的な転機に立っている。実際、「低成長下のデフレは先進国共通の現象」(水野氏)であり、「500年におよぶ近代資本主義を駆動させてきた諸条件は、現在、急速に失効しつつある」(同)。そう考えると、現在の日本そして世界が直面する問題の解決には、国を超えた幅広い「連帯」が必要になる。ただ、その「連帯」を根底で支えるのもスミスの「同感」による身近な「連帯」であることをけっして忘れてはならないのである。
(北海道新聞「現代読書灯」2011年02月20日朝刊)
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