成長を否定するわけではありません。貧しくてもいいじゃないか、というわけでもありません。成長と生活は高度成長期にはある程度両立していました。1人あたり国内総生産(GDP)1万ドルぐらいまでは両立するからです。ただ、そこから先は成長主義では生活が犠牲になってしまう。高度成長の末期には公害問題も起きました。だから低成長に対応した生活優先に切り替えていこうということなんです。
1970年代前半にニクソンショックが生じて円高になり、石油危機も起きました。このため目の前の成長制約の克服が政策的に優先されました。当時(経済評論家の草分け)高橋亀吉(1891〜1977年)は、成長を制約する原因を克服するんじゃなく、その条件に「適応」するほうが望ましいと言っていました。このあたりが日本経済の転換点だったと思いますが、実際にはそうならなかった。
福祉関連 遅れた投資
公共投資では引き続き生産関連が優先され、例えば高齢化に備えた福祉関連の投資が立ち遅れました。地方に仕事をということで道路に毎年10兆円以上投資されていたんですね。道路にそれだけのお金を使うくらいなら地方に病院や介護施設をつくり、そこで働く医療や福祉関係者の人件費も十分にまかなえたはずです。それをしなかったから今では地方で生きていくために必要な施設が大幅に不足しているのです。
もちろんGDPが増えること自体は悪いわけではありません。ただGDPの増加を最優先にした経済政策と、それを理論的に支持する新古典派とよばれる経済学に問題があるんです。GDPを最大化するためには規制を緩和し、政府の仕事を減らし、経済効率を追求して生産性を上げればよいと新古典派は言う。要するに市場で高く売れる商品をできるだけ安いコストでたくさん作って売ればよいと言うのです。
これに対して高橋亀吉は戦前から、市場で高く売れるものが社会にとって必要な物と一致するのは経済格差がない時代の話だ、と言っていました。人々の間に経済格差がつけば、市場で高く売れる商品とは金持ちが欲しいと思う商品となり、所得の低い人も含めた社会全体が必要とする商品とは必ずしも一致しなくなってくるからです。
経済格差がない時代には誰もが必要とするような商品ほど需要は多くなりました。しかし経済格差が大きくなってくると、市場が提供する商品と社会が必要とする商品の間に乖離が生じてくるのです。
格差を容認する経済学者の中には、経済的に豊かな人がより豊かになれば、貧しい人にも豊かさの「おこぼれ」が行き渡るというトリクルダウン説を唱える人がいます。しかし現実はそうではなく、拡大した格差は固定化されて貧しい人はどんどん社会から排除されていきます。市場の中には格差を縮小するシステムや動機などが最初から組み込まれていないんです。
それでは生活を優先する社会を築くにはどうすればよいのか。宇沢弘文さん(経済学者、東大名誉教授)は所得の再分配では持続的な福祉国家は建設できないと指摘しています。経済の成熟化と人口構造の高齢化に伴って福祉関連の予算がどんどん大きくなり、財政赤字が膨らんで国家財政が破綻してしまうからです。
宇沢さんは再分配に依存するのではなく、国民が健康で文化的な生活をしていくうえで必要なサービスは、市場に依存せず国が公共サービスとして直接供給するのが望ましいと言うのです、健康的な生活とは医療や介護、清潔で快適な住宅が整っていることです。文化的とは教育の機会が保障されていることです。
サービス 国が提供を
そうしたサービスを全ての国民が公平に受けることができるように、社会的に共通な資本をあまねく整備すべきなのです。それには病院や学校、介護施設や住宅などの設備だけではなく、実際にサービスを提供する人材も含みます。所得再分配には限界があるからと言って、民営化や規制緩和で効率よくサービスを提供しようとしても、自社の利益を優先する企業には国民の生活を守ろうとする動機がないのです。
市場で売れる商品の生産が増えなければGDPは増えませんが、GDPが増えなくても生活を「豊か」にすることは可能です。
その意味で民主党が掲げた「生活第一」は政策の理念・方向性として正しかったと思います。成長主義に振れすぎた振り子を戻そうとしたわけですから。ただ、問題は「生活第一」とはどのような社会につながっているのかというビジョンがなかった。
子ども手当は保育施設や育児休暇などの制度が社会的に完備するまでの過渡的措置としてはどうしても必要であり、廃止すべきではなかったと思います。「生活第一」のゴールは安心して子どもを産み育てられる社会の創造だったとしても、そこに至るまでは子ども手当が必要だと民主党は主張すべきだったのです。
生活保護の受給者が過去最高となり、人間としてぎりぎりの生活を強いられている人が増えています。憲法が国民の生活権をうたっている以上、国は責任を持って社会の成員として生活できる権利を保障しなければいけません。生活権の確保は国の義務なんです。義務である以上、何があっても怠ることはできない。国民の生活こそ最優先の課題であるのに、今はそういう論議が欠けています。
●聞き手・編集委員 池野敦志
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