アメリカの金融政策に 日本は学ぶべきか否か
この1月の政府月例経済報告によれば、日本の景気は緩やかに持ち直している。国民の生活実感とは異なるが、政府が言う景気とは企業の生産に他ならない。実際、東日本大震災の影響で昨年4月には前年比13.6%減まで落ち込んだ生産指数は、同12月には同4.1%減(速報値)にまで回復した。しかし、生産が回復しても急激な円高の影響で収益悪化に苦しむ企業は多く、大幅な減益では済まずに赤字に転落する有名企業も少なくない。
円高の主因を日本のデフレに求める金融経済学者の岩田規久男氏は「ユーロ危機と超円高恐慌」で、リーマンショック直前の2008年8月には1ドル109円だった対ドル円レートが、「11年7月以降は70円台に突入し……円高を通り越して、超円高になった」背景には「日米の金融政策の余りにも大きな違い」があると指摘する。実際、アメリカの中央銀行・FRB(連邦準備制度理事会)は、リーマンショック後の08年9月から翌09年1月にかけてマネタリー・ベース(貨幣供給量)を90%も増加させたのに対し、日銀は同5.8%増とFRBの「50分の1に過ぎなかった」。こうして彼我の対応をめぐって、岩田氏は日本でデフレが続くのは市場がデフレを予想するからであり、「市場がデフレを予想するのは……マネタリー・ベースの動きを見て、日銀にはデフレ脱却を目指して金融政策を運営する気は毛頭ないと判断するから」だと日銀を責める。そのうえで、アメリカのFRBを手本にして日銀が「マネタリー・ベースを増やす『量的緩和』を実施すれば」デフレから脱却し円高も反転できると述べ、日銀法を改正しても政策レジームの転換を日銀に求めるべきだと言う。
これに対し、理論経済学者の大瀧雅之氏は、「平成不況の本質」で、失業率の趨勢的な上昇こそ「現在の日本経済にとって最も大きな問題である」と述べ、日本の「4倍以上の失業者」を抱えるアメリカの政策に学ぶべき点はないと安易なアメリカ追随主義を一蹴する。大瀧氏によれば長期的な視点から見れば「日本経済が経験しているのは、デフレ(物価の下落)ではなく、顕著なディスインフレ(物価上昇率の低下)」であり、岩田氏のようにデフレ脱却を声高に叫ぶ日銀批判の「大きな渦は、経済学に関する理解不足を示しているか、事実を歪曲してインフレを扇動しているか、あるいはその両方だ」と喝破する。大瀧氏が失業問題を重視するのは、失業率の上昇が生産現場における技術の醸成と熟練の継承を阻害し、「若い世代の……(公式および非公式の)教育環境を悪化させ……労働生産性の上昇率を低下させ」るからだ。その結果が名目賃金の抑制を通してディスインフレを引き起こしていると言う。そう考えると大瀧氏が支持するケインズの有効需要政策とは、当面の雇用対策だけではなく、失業がもたらす長期的な問題の解決まで射程に入れているのである。
危機の時代には苦しむ家計や企業を相手に、わかりやすい論理で人心を掌握しようとする議論が蔓延る。その流れに抗するためには、じっくりと本質を解き明かす思考が必要だ。迷える読者にはケインズ学会が編集した「危機の中で<ケインズ>から学ぶ」を、自らの視座を確認する格好の一冊として勧めたい。
(北海道新聞「現代読書灯」2012年 2月19日朝刊)
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