はたして今回の参院選の結果、国民と政治の距離は縮まったのだろうか。
たしかに二大政党化のもたらしたインパクトは大きかった。二大政党化が進むということは、多様な民意の代表という意味ではマイナスもあるが、一回の選挙で劇的な結果を生み出す効果もある。
今回の参院選の結果がまさしくそれで、自民党の大敗と民主党の躍進は、「投票をしても、政治は変わらない」というあきらめを揺さぶった。有権者は自民党を敗北させ、民主党を躍進させるという意思を明確に示したのである。
しかしながら、それでは有権者の選択が直ちに政治を変化させたかというと、微妙である。安倍首相は、選挙を通じて示された批判を受け止めつつも、なおも政権にとどまることで責任を果たすという。
これを安倍首相の「鈍感力」の賜物(たまもの)と呼ぶかはともかく、かつての自民党であれば、このような大敗を喫するやいなや、新たな総裁を立てたり、明確な路線変更を模索したりしたものである。
ところが、今回に関してはその動きもない。選挙を通じて示された民意への反応は鈍いと言わざるをえない。ある意味で、選挙で示された意思は、中ぶらりんなままである。
とはいえ、このことを積極的に捉(とら)えることも可能である。かつてであれば、政権はつねに自民党にあり、国民は選挙を通じて「お灸(きゅう)をすえる」ことはできても、究極的にはすべて自民党内の論理で問題が処理され、そのまま政治が動いていった。国民の意思はつねに間接的にしか政治に影響を与えられず、政界は外からは窺いにくいブラックボックスであった。
これに対し、今回の選挙の結果明らかになったのは、そのようなブラックボックスの中で働いていた何らかの機能も衰えた、ということである。そうだとすれば、国民の側も、選挙ですべてが終わったと安心するわけにはいかない。
選挙で示された民意がどのように政治を動かしていくか、今後も政治を見張り続けていく必要がある。
逆に、安倍首相にとっては、かつての首相のように、政界のブラックボックスの中での支持を取り付けるだけではその地位を保持するのに十分ではないことを意味する。自民党総裁選で選ばれた安倍首相は、小泉首相の下で選ばれた衆院選をそのまま引き継ぎ、今回の衆院選で初めて国民による直接の信任審査を受け、きわめて辛い点をもらった。
安倍首相はしばしば「私の内閣」という言葉を使う。国民の代表である国会で選ばれた首相が、自らの責任と指導力で内閣を導くという意味なら理解可能な言葉遣いである。が、ここまで国民の信任を受け損なっている安倍首相の口から発せられると、少々違和感がなくもない。
今回の選挙はそれ自体として完結していない。手厳しい審判を受けた安倍首相が立て直しを見せるか、それとも民主党がほんとうに政権を担うに足る信頼性を獲得するか。それ次第によって、今回の選挙の意味も変わってくる。
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