7月の参院選で与党が過半数割れしたことで、衆議院と参議院のねじれが生じた。この事態にどう対応すべきなのか、他先進国の例も見ながら考える。
権力分立といえば、誰しも一度は学校の教科書で習うことである。司法・立法・行政という3権の間での分立だけでなく、立法権についても2院制を採用することで、よりよく抑制・均衡のメカニズムを働かせることができる、というような説明を耳にしたことがある人も少なくないはずだ。
とはいえ、そのように説明されても、そういうものかという以上の感想は持ちにくい。ところが現在、日本国民は衆議院と参議院でのねじれ現象を前に、あらためてこの教科書的な知識の意味を考えざるをえない状況に追い込まれている。
とりあえずの関心は、福田康夫新首相の低姿勢と、小沢一郎民主党代表の強硬姿勢に向けられている。インド洋における海上自衛隊による給油活動は果たして継続されるのか、日米関係のあり方とも関連して注目が集まっている。
しかしながら、問題は実は短期的な政局に限定されない。ようやく日本国民が気づきつつあるのは、日本国憲法が実に大きな力を参議院に与えてしまっていることなのである。これまで言われてきたのは「参議院無用論」であり、「参議院カーボンコピー論」であるが、ここに来て議論は一転した。なぜ、参議院の意外な存在感がこれまで注目されなかったかといえば、話は簡単である。与党が衆参の両院において多数を維持し続けたからである。自民党は何度か参議院選での敗北によって過半数を失ったが、その都度、少数政党との連立によって窮状をしのいできた。しかし、2大政党化の進む今日、もはや連立すべき中間政党は存在しなくなっている。ある意味で、戦後日本憲政史上、未曾有の状態が今、出現しているのである。
日本の政治が成熟化した表れか
それではなぜ、未曾有の状態が今の段階で起きたのだろうか。これは、逆説的に聞こえるかもしれないが、日本の民主政治の成熟の表れとして、見ることも可能である。すなわち、民主政治の未確立期には、細かな制度論をしてもあまり意味がない。社会の大多数の国民の声が政治に直接反映されることを予期しない政治体制においては、ともかくも一歩一歩、議会主義や政党政治を実現していくしかないからである。その場合、必要なのはむしろ、実質的な体制の転換であって、細かな制度論ではない。
しかし、民主政治が成熟すると同時に、衆参の選挙が正反対の結果となったように同じ国民の声といっても多面的であることが明らかになってくる。その場合、そのうちのいずれを優先するか、相矛盾する国民の声をどう汲み取って政策に反映するかが問題となる。
その意味でいえば、1990年代前半の選挙制度改革にはじまり、2000年代以降も、05年9月の衆院選、今年の参院選と至り、微妙に変化する国民の声がより劇的に政権のあり方を左右するようになってきている。日本の民主政治は新たなる段階へと達したといえるかもしれない。安倍晋三内閣における強行採決の連発が、国民にあらためて権力分立の意味や、単純でない民主政治の現実についてより自覚的になるきっかけとなった結果、敢えて歯止めとしての衆参ねじれという選択がなされたとの見方もできる。
まず2院制のあり方について各国の経験から考察してみたい。この制度は現代先進国では広く採用されているが、意義については最初から批判の声も少なくなかった。
例えばフランス革命後、人民の意思を体現する立法権の威信はほかの2権を圧倒したが、その分、立法権を分割することには抵抗もあった。人民の意見は1つである以上、2つの院が異なる意見を代表したら、おかしなことになる。かといって2つの院が同じ意見を代表しているなら、2つも院がある必要はない。というわけで、2院制は「危険であるか、あるいは無用な制度」とされたのである。
もちろん英国での2院制の前例はあったが、それはあくまで貴族院と庶民院という身分制に依拠するものであり、革命を経たフランスでは到底採用できないとされた。また米国で2院制が採用されたのも、独立当初における大州と小州の妥協の産物という特殊事情があった。州ごとの人口に比例して議席が配分される下院は大州に、人口にかかわらず議席が一定の上院は小州にとって都合のよい制度であった。
しかし、このように各国の歴史的経緯に大きく規定されて出発した2院制は、次第にその意義を一般的に認められるようになる。その際に大きかったのは、やはり立法権の専制に対する警戒であり、多数派による少数派の意見の圧殺への批判であった。したがって、2院を分けることは議論をより慎重なものとするし、多かれ少なかれ議員の選出方法を違えることで、両院に異なる利害が代表されるようになる。立法権をより安定的なものとするために2院制には意義があるとされたのである。
これらのことを考えると、日本の場合、首相指名や予算案などにおいて一定の優越が衆議院に認められ、また衆議院による再可決という制度があるものの、両院の権能はきわめて似通ったものであり、はてしなく両院の平等性が目につく2院制であることがわかる。参議院の政党化の進んだ今日、両院議員の性格が大きく異なるということもない。その意味で、今日問い直されているのは、このような日本の2院制の意義そのものなのである。
米は「分割政府」が続く
ところで、このように2院間の政党のねじれからさらに視野を広げ、3権間でのねじれということになると、現在の世界においていくつかの例を見いだすことができる。
第1の例は、米国における大統領の政党と連邦議会の多数党とが食い違う事例である。これを「分割政府」と呼ぶが、米国の過去において、このような分割政府の例は決して少なくない。8年間のクリントン政権の最後の6年については共和党が議会の多数を占めたし、ブッシュ政権においても、06年の中間選挙で民主党が上下両院で多数を回復した。
ここで思い起こす必要があるのは、米国がそもそも議院内閣制を採用していないということである。すなわち、大統領の選出と議員の選出は独立して行われ、両者の間に結びつきはない。したがって、世のイメージに反して、米国の大統領はそもそも議会に対して直接の影響力を持たず、脆弱な存在である。さらにいえば、米国の政党においては、議員の独立性が高く党議拘束による規律は強くない。その意味で、大統領は元々、法案採決のために、党に頼ることはできず、自ら個々の議員を説得する必要がある。
したがって世論の支持を失った大統領は、今のブッシュ政権がそうであるように、議会運営に関して完全に無力に陥らざるをえない。米国の大統領はある意味で、恒常的に綱渡りを運命づけられているのである。
仏独は内政と外交を分担
次にフランスの事例である。フランスの場合もまた直接公選の大統領制であり、必然的に議会多数派との食い違いが生じうる。とくに現在、首相が下院(国民議会)の多数派によって選出される慣習が確立しているため、結果として大統領と首相の政党が異なるという「コアビタシオン(同居、同棲)」がしばしば問題になる。
この場合、大統領の権限が大きく制限されることになるが、ミッテラン大統領下におけるシラク首相、シラク大統領下におけるジョスパン首相など、過去に多数の経験が存在する。フランスの大統領は名目の国家元首ではなく、ド・ゴール大統領の創設した第五共和制において、本来きわめて大きな権限と権威を有する存在だけに、コアビタシオンはいかにも不都合な状況である。
それではフランスではいかにして、このような状況に対応しているのだろうか。1つには、大統領は外交、首相は内政というように、その役割を分担することである。国父的存在である大統領は世界におけるフランスの独自性を実現すべく行動し、その間議会多数を握る首相が内政の主役となるというわけである。
しかし、外交と内政に分離できるわけではないし、外交方針をめぐって大統領と首相との間に基本的合意すらないとすれば、長期的な国益の維持は難しくなる。その意味で、近年、大統領の任期を5年とし、下院の任期と一致させたのは、大統領と議会多数の間に何らかの一致を見いだすための方策といえなくもない。
フランスとまったく異なる制度を採用しているものの、現在、似通った状況が生じているのがドイツだ。
05年の総選挙の結果、キリスト教民主同盟(CDU)・キリスト教社会同盟(CSU)の連合は僅差で社会民主党(SPD)・緑の党の連合に勝利したが、自由民主党と合わせても過半数に届かず、結果として社会民主党との「大連立」を選択した。連立に向けての交渉は難航し、結局、首相にはCDUのメンケル党首が選出されたが、閣僚の半数、とくに重要な経済閣僚ポストをSPDに譲ることとなった。結果として内政についてはSPDが主導権を握っているが、メルケル首相は外交面でその手腕を見せ、現在までのところ、その支持率はけっして悪くない。
政治争点の序列化を
これから日本の衆参のねじれはどうなっていくのだろうか。以上の議論からも明らかなように、これまでねじれの可能性についてはほとんど意識されず、それに対応する方策も講じられてこなかった。しかし、政権交代も視野に入れて政治を論じていく必要のある今日、両院間でのねじれについて、つねにあり得る状況として考えていく必要がある。具体的には、2院間での役割の分担、さらには議員選出方法の差別化などが考えられよう。
その際に重要なのは、政治争点の序列化である。憲法改正を要するような、国の基本的な枠組みや外交方針については、より長期的な視点での取り組みがのぞまれる。対するに毎年の予算案のような短期的ではあるが、緊急性の高い争点もある。その間には年金をはじめとする社会保障制度や税制がある。
格差と憲法改正に始まり、年金に終わった今年の参院選は、次元の違う論点をない交ぜにしたまま争われた。日本においていかに問題の軽重をはじめとする論点間の整理ができたおらず、議論の脈絡そのものが欠けているかを如実に示したと言えよう。この整理ができてはじめて、衆参両院の役割分担も可能になる。
長期的課題については解散のない参議院の議論を重視するとともに、より短期的で、ある意味、良かれ悪しかれ、ともかく時間内に決める必要のある争点については衆議院の議論を優先し、最終的には解散によって国民の信を問う。
大連立を組むにしても、あくまで憲法政治と外交の基本的方針における合意を前提に、内・外政や政策分野ごとの「棲み分け」が図られるべきである。与党が妥協する場合、緊急性の高い課題への対応を実現するために、より長期的争点において野党の考えをより尊重したり、外交上の一貫性を守るために内政上、野党に対し思い切った譲歩を行うことなどが考えられよう。
いずれにせよ、直面する困難を乗り越えるための方策を考えると同時に、違う思考のレベルにおいて、よりよい憲法政治の枠組みを考えていくことが肝要である。一時的な弥縫策のために、根本的な制度原則を等閑視(おろそか)することだけは、何があっても避けなければならないことは言うまでもない。
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