小沢一郎民主党代表の秘書逮捕は、私たちにとって何ともいえない「もやもや」感を与えている。はたして小沢氏やその秘書に迂回献金の認識があったのか、また、この時期に逮捕がなされたことの背景に何らかの政治的思惑があったのか、気になることは多い。しかしながら、私たちにとっての「もやもや」感はそれに尽きるわけではない。
何よりも引っかかるのは、この事件がはたして日本政治の未来にとって、いかなる意味を持つのかということである。
現在の日本政治にはいくつかの方向性がある。この場合の方向性とは、抽象的な可能性ではなく、今後の日本政治がどのような政治勢力によって、どのような方向に進められていくかという、現実的な選択肢のことである。いまだ具体像の見えない政界再編論を別にすれば、方向性は三つある。
第一は小泉改革の続行である。郵政民営化に象徴される新自由主義の方向性であり、この立場からは、現在の状況は、さらなる改革の進展によって乗り越えられるべきであると主張される。
しかしながら、この方向性は、小泉元首相の「造反」に賛同者が集まらず、世論の支持も高まらなかったことにも示されているように、現在厳しい状況に置かれている。何よりも、不況克服や格差是正について、新たな展望を開けないのが苦しい。
第二は小泉改革の否定、もしくはそこからの軌道修正である。この場合、否定もしくは修正を自民党自ら行うというのが、一つの選択肢となりうる。小泉改革の負の遺産について批判が高まるなか、自民党内からは、「自民党は本来、新自由主義的な政党ではなかった」として、新自由主義的な路線との決別を目指す動きがある。
しかしながら、この方向性についても、麻生首相の「実は(郵政民営化に)反対だった」発言のへの激しい反発が示しているように、批判が大きい。何よりも、まさに郵政民営化の担当大臣であり、郵政選挙で獲得した衆院議席を背景に政権についた首相が、選挙を経ることなく、総括なしの政策変更を行うことには違和感がある。
第三の選択肢は、小泉改革の否定もしくは修正を、政権交代によって実現するというものである。大きな政策変更を政権交代によって実現することは、民主政治にとってもっとも正統的であるが、この場合、いかなる政策的方向性が新たに示されるかが問題になる。
新たな政権の受け皿として想定される民主党は、旧社会党系から新自由主義に親和的なグループまで、幅広い政策的志向を持つ議員たちを、自民党竹下派直系の小沢氏が束ねる構成になっている。小沢氏はこれらのグループを反小泉改革と生活防衛の立場で団結させようとしてきたが、その整合性についてはいまだ不安も残る。
この数ヶ月、民意はこれらの方向性をめぐり、千々に乱れてきたと言えるだろう。とはいえ、次第に第一の方向性(小泉元首相の復活)への思いを断ち、第二の方向性(自民党による政策転換)には反発し、そして第三の方向性(政権交代)を真剣に検討してみるかという流れができかけているときに、今回の事件は起きた。
今後の捜査の展開にもよるが、おそらく、第一の方向性や、第二の方向性への大きな揺り戻しはありえないだろう。日本の民意は、この点について、すでに一定の判断を下している。だとすれば、問題は第三の方向性が空中分解してしまうかどうかである。
第三の方向性への期待が縮小すれば、残るは「どのひどさが一番ましか」という判断となる。日本の民主政治にとって不毛な選択のあり方であり、このことが今の「もやもや」感の最大の原因となっている。
その意味で、小沢代表が続投するにせよ辞任するにせよ、民主党には少なくとも、一つの方向性を示し続けるという責任がある。民主政治とは、国民による、よりよい政治的方向性の選択であって欲しい。
(毎日新聞 2009年3月16日<北海道版>朝刊)
|