湾岸戦争後の一九九一年に初めて「創憲」を提唱しました。国連平和維持活動(PKO)への参加や非核三原則、武器禁輸などの原則を新たな条文として追加し、専守防衛に徹してきた平和的な国家像を守るのが狙い。
「非武装中立」など非現実路線を続けても政権交代は起こせないし、自衛隊の意義と限界を憲法に明記して初めて、PKOなど国際舞台での軍事面を含む貢献ができると考えたからです。
しかし、九〇年代後半以降、日米安保条約が変質を続け、9・11テロ後の米国が身勝手な軍事行動を繰り返す中で、九条を変え、自衛隊を本当の軍隊にして集団的自衛権を認めるのは得策ではない、と考えを改めました。
右派の改憲論者には「そんなに米国の傭兵(ようへい)になりたいの?」と聞きたい。憲法改正で何が起こるのか、国民にちゃんと予告しておかないのはいんちきです。
北朝鮮の脅威といっても、海を渡って陸海軍が攻めてくる可能性は、輸送や補給の観点からみればゼロに近い。問題はやけくその核ミサイル攻撃をどう防ぐか。日本にはABCD包囲網で追いつめられ、対米開戦に踏み切った歴史の教訓がある。北朝鮮には同じ轍(てつ)を踏ませないようにしないと。
拉致問題で妥協できないという原則論は理解できるが、六カ国協議で北朝鮮をめぐる国際的ムードが比較的「雪解け」に向かう中で、日本も柔軟な戦略が必要です。右派の主張がいつも現実的なわけでも、安全保障に有益なわけでもない。
本来の保守主義は、人間の能力の限界をわきまえずに計画や統制で世の中を変えようとすることに懐疑的な態度を示すものだが、今の保守論壇には、特定の考えを絶対化する硬直したイデオロギーがあふれている。大東亜戦争を肯定する復古的右派が少し静まらないと、理性的に憲法改正を論じる環境も整わない。
国民投票法の与党案には問題点があります。十五秒や三十秒のテレビCMで憲法改正の意味を語れるわけがないし、最低投票率など歯止めをつくっておかないと一握りの国民の意思で憲法が変わることもありえます。
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