参議院選挙に向けて国会も終盤を迎え、「政界は、一寸先は闇」という言葉を思い出すこの頃である。五月の中頃までは、政権支持率も下げ止まって、野党の側に手詰まり感さえただよっていた。しかし、消えた年金をめぐる世論の沸騰や、松岡利勝農水相の自殺など、政権のイメージを損なう事件が続出して、五月末から六月初頭にかけて、各社の世論調査では支持率は最低を更新する結果となった。参議院選挙の行方は混沌とし、面白くなったとは言えるであろう。
もちろん、年金制度の信頼性が大きな争点となることは不可避であるし、必要であろう。ただし、私は年金騒動を見て、またかという既視感をぬぐえない。三年前の参議院選挙でも年金制度改革の当否をめぐって与党は国民の厳しい批判を浴びて敗北した。しかし、その後、非正規雇用の増加と若年層の年金不信の高まりによって、国民年金の空洞化は進むままである。選挙の時に大騒ぎしても、それが有効な制度改革につながるとは限らない。年金加入者の権利保護は重要な課題であるが、それは既存の制度を前提とした話である。少子化と非正規雇用増加の趨勢の中で、年金制度をどのように持続するかという点こそ、年金問題の本質である。浮き足だった政府与党に、その種の骨太の議論をする能力はない。野党はその点を責め立てるのであろうが、悪者捜しをするのではなく、制度の持続可能性という根本の議論をしてもらいたい。ただ、実際問題として与野党間でかみ合った議論をすることは難しいであろう。
今回の参議院選挙は、安倍政権誕生後の最初の国政選挙である。その意味では、安倍政権自身が設定した国政の方向付けや看板に掲げている政策の是非について国民が判断と評価を下す場となるべきである。安倍首相自身、憲法改正や戦後レジームからの脱却を主要な争点に据えると意気込んでいた。国民投票法や在日米軍再編特別措置法、教育改革関連法案など、憲法改正を先取りするような法律が次々と作られている。集団的自衛権の解禁に向けて、有識者会議が発足し、九条解釈の変更は時間の問題となった。また、先月には沖縄県名護市の辺野古沖に米軍基地を作るための環境影響調査に際しては、海上自衛隊の護衛艦が派遣されるという事件まで起こった。さらに、自衛隊イラク派遣に反対する市民の運動などについて自衛隊の情報保全隊が情報収集を行っていたことも明るみに出た。
これらの事件は、文民統制の原理にかかわるものであり、自衛隊が何を守るのかという本質にもつながる大問題である。戦後レジームの中で、国民は、憲法九条のもとの専守防衛という理念に基づいた自衛隊を支持してきた。安倍政権はこのような自衛隊を変質させようとしているように思える。自衛隊の一部が昔の憲兵隊のようになり、市民の政治的自由に干渉するなどということは絶対にあってはならない。
政権運営上の不手際が重なって、安倍首相が当初目指した憲法論争は不発に終わりそうである。社会保障を中心とした生活の問題について、選挙戦の中で十分な政策論議が行われることは私も歓迎したい。しかし、選挙の最大の意義は、国民がこの国の主権者であることを確認する機会という点にある。現在の政府が主権者の目を盗んで、事実上進めてきた憲法改正の前倒しについて国民の側からチェックを働かせるのは、選挙が最も有効である。
年金問題で周章狼狽している安倍政権が、本当にシビリアンコントロールの担い手になれるのかという疑念も頭をよぎる。まさに、安倍首相が民主政治の指導者として適格かどうかを問うことこそ、参議院選挙の最大の争点である。
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