今回の参院選の総括を書くに当たって、二〇〇五年九月一一日の総選挙の翌日に本紙のこの欄に寄稿した文章を読み返し、この二年間の政治の大きな変化を痛感した。あの時私は、小泉自民党が圧勝した郵政選挙の意味について、「多くの人々が生身の人間の営みとしての政治に背を向けたことの現われ」、「面倒見としての政治を否定するという転換」と規定している。実はあのころから、雇用や社会保障に関する不安が高まっていたのだが、そんな話は総選挙の争点にはならなかった。国民は、郵政民営化という自分たちにとっておそらく一文の得にもならない話題に熱狂し、「小さな政府」や「官から民へ」というスローガンに喝采を送った。この点を捉えて、生身の人間の生活や苦労と政治が乖離したという結論に達したのである。
あれから二年近くたって、選挙の情景は一変した。安倍晋三首相は、当初憲法改正や戦後レジームからの脱却を唱えて、この選挙を長期政権の第一歩としようとした。安倍の持論、「美しい国」にしても、「脱戦後」にしても、およそ生活臭のない象徴の羅列こそ、安倍政治の特徴であった。これに対して、民主党は年金加入記録の杜撰な管理をこつこつと追及し、争点の設定に成功した。年金への不安から始まって、雇用、大都市以外の地域の疲弊など、この数年継続している生活に関連する不安が大きな政策争点に浮かび上がった。「生活第一」という小沢一郎民主党代表の戦略が成功したことは明らかである。
政治とは、本来、多くの人々が共通して抱える生活上の問題を解決する営為である。その意味で、小泉政治という魔術が解け、人々は政治の本来の役割を思い出したということができる。この二年近くの間、小さな政府という名の冷淡な政治の路線が、様々なひずみを作り出したにもかかわらず、内容空疎な「美しい国」というシンボルで国民の支持をつなぎ止めることができると考えた点に、安倍自民党の致命的な錯誤があった。
今回の選挙は、自民党が陥っている深い矛盾を浮き彫りにした点でも、印象深い。一方で人々は古い自民党を解体して欲しいという欲求を持っている。他方で、農家、地方の中小企業主など長年自民党を支えた人々は、地域社会や人間を顧みる暖かい政治を取り戻して欲しいと願っている。この二つの期待はしばしば矛盾するものであるが、小泉時代には小泉純一郎という政治的天才の技量によってこの矛盾が覆い隠されていた。しかし、小泉時代の終わりとともに、この埋めがたい矛盾が露見した。
安倍も、決して二つの課題に鈍感だったわけではない。古い自民党を否定するために、官僚をたたき、公務員制度改革を一応は実現した。しかし、政治と金をめぐる旧態依然たる疑惑が噴出し、松岡利勝前農水省が自殺するに及んで、安倍は新しい政治を語る資格を失った。長年の支持者に対する暖かい政治についても、「ふるさと納税」などの新機軸を打ち出そうとしたが、あまりにも中途半端であった。都市部では古い自民党を嫌悪する無党派層に嫌われ、農村部では長年の支持者から訣別を告げられた。今回の惨めな成績は、両方での敗北を合算した結果である。
参議院における与党過半数割れによって、政党政治は一気に流動化するに違いない。解散総選挙を求める動きは与野党から強まるであろう。民主党も大勝に酔う余裕はない。本気で政権を狙うためには、信頼できるリーダーシップと、より具体的な政権構想の提示が不可欠である。
自民党が危機を乗り越えて政権を持続するのか、それとも民主党が政権交代を実現するのかは、現在の自民党が陥っている矛盾を打開する政策を作り出せるかどうかにかかっている。透明性が高く、公正な政治の手法を確立しつつ、政策内容としては地方や弱者に適切に配慮するという課題への答えを先に見出すのはどの党であろうか。
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