今回の参議院選挙は、年金に対する危機感の高まりを契機に国民の大きな関心を集めた。結果は、「山が動いた」一九八九年に次ぐ自民党の大敗となった。自民党の敗因を考えると、年金不信や閣僚の失言という急性の要因と、小泉時代以来蓄積してきた慢性の要因とが相乗効果を起こしたように思える。急性の要因だけに目を奪われていては、選挙に表現された民意を読みそこなうことになる。また、急性の要因は、実は慢性的病理の表面的な現われに過ぎないというより深い現実をも直視する必要がある。
年金不信については、国民の申請によって年金を給付してやるという官僚体質こそが根本的な原因である。今回安倍政権は、社保庁民営化や国家公務員法改正など大慌てで官僚攻撃の政策を実現したが、自民党が長年官僚と二人三脚で政権を維持してきたことは国民には明らかであった。小泉時代に「官から民へ」というスローガンが自民党の売り物になったが、そこで言う民とは、民間企業の民であって市民の民ではないことがはっきりした。
閣僚の失言や政治と金をめぐるスキャンダルについても、表面的な問題ではなく、安倍首相のリーダーシップの問題である。それはまた、安倍氏を圧倒的多数によって総裁に選んだ自民党全体の危機と言わなければならない。安倍首相も自民党の政治家も、人を見る目がない。もはや自民党という政党は、政治家を鍛えたり評価したりする機能を失っているのである。
慢性的要因としては、小泉構造改革の負の遺産があげられる。地方交付税や公共事業費の削減によって地方の疲弊は止まるところを知らない。小泉政権時代に規制改革会議の議長を務めた宮内義彦氏が北海道には人口が二百万人もいれば十分だと公言したように、行政コストのかかる田舎にはもう人は住まなくてもよいというのが、小泉、安倍両政権の中枢部を占めるエリートの発想である。一人区での自民党の大敗は、こうした構造改革に対する保守層の反発がもたらしたのである。
北海道選挙区の結果も、こうした全国的傾向と軌を一にしている。自民党の伊達忠一氏は議席を守ったものの、選挙戦の終盤に新党大地と民主党が推薦する多原かおり氏に猛追されて、冷や汗をかいた。また、伊達氏にしても、北海道新幹線の札幌延伸という反構造改革的政策を唱えて、保守層の引止めに必死であった。私は、伊達氏の政策にけちをつけたいのではない。政治の世界は効率や収益だけで物事を割り切ることはそもそも不可能であり、単なる市場とは別の国土像や社会像を持たなければ政治家は務まらないと言いたいのである。
参議院での与野党逆転という結果を受けて、政界は流動化を始めるであろう。自民党が小泉政権以来新自由主義的な構造改革路線を旗印にしたのに対して、今回民主党が小沢代表の下で生活重視路線を明確にし、政策内容としては社会民主主義路線を採用した。これによって政策本位の二大政党制が整ってきたように見える。しかし、それぞれの党の中を見れば雑居状態は治まっていない。日本の政党政治は、これからさらに再編の時代を迎えるように思える。
|