参院選の大敗北から一か月の敗戦処理の仕方を見て、自民党の危機はいよいよ深まったことを痛感している。去年の今頃は、ポスト小泉の自民党総裁選で、安倍晋三の優位が固まり、党内の圧倒的多数が安倍政権実現の功労を競っていたものだ。日本の政治を少しでも観察した者なら、というか普通の人間観を持っている者なら、安倍が総理の器ではないことくらい一目瞭然である。にもかかわらず、安倍首相の下に圧倒的な巨大主流派が形成されたことこそ、自民党の危機である。
昔の自民党なら、これだけ選挙で大敗すれば、総裁の責任を追及する動きが起こり、権力闘争に発展していたであろう。党内で権力の移行が起これば、それが擬似的な政権交代の役割を果たし、政策転換のきっかけにもなった。そのような復元力のゆえに、自民党は半世紀も権力を維持してきたのである。しかし、今や派閥は戦闘集団の体をなしておらず、反主流に身を置いて出番を待つというような度量の大きい政治家もいない。体を張って正論を唱え、党を立て直そうという剛直の士もいない。
今回の選挙を自民党に対するお灸と捉える議論もある。そうした議論は、自民党が政権を持続することを自明の前提として、選挙における自民党敗北を、心を入れ替えてまじめにやれと国民が注意を喚起するメッセージとして意味づけるものである。しかし、今の自民党はお灸をすえられて目覚めるだけの正気も失っているように思える。政権担当能力を持つのは自民党しかないというのは、もはや遠い昔の神話となった。やはり、疑似政権交代ではなく、本当の政権交代を起こすしか、日本政治を立て直す道はない。
自民党と似たり寄ったりの民主党が次の総選挙で勝って政権を取ったからといって、何も期待できないという手詰まり感を持つ読者も多いであろう。実際、民主党の参院選向けのマニフェストは政権構想と言うにはまだ詰めが甘い。新自由主義的構造改革を批判するベクトルは正しいものの、自民党から政策面で反撃を受けた時に、持ちこたえられるのかどうか、不安である。
ここは、国民参加で次のマニフェストを作る作業をしてはどうだろう。民主党は政権交代への道半ばまで進み、正攻法で政権を勝ち取るという展望を描いている。安倍が執着している憲法改正に手を貸したり、一部で言われている大連立に荷担したりすれば、今までの歩みが水泡に帰する。小沢一郎代表はそんな愚かなまねはしないはずである。だとすれば、日常の政策について国民の期待を喚起するような構想を作ることが民主党の課題である。そして、そのような政策を作る作業に、政治の現状を憂える市民の参加を呼びかけることこそ、政治の可能性を開くための突破口になりうる。具体的な内容は政党の責任で決めるにしても、国民生活に喫緊の課題は何か、国民自身に語らせる必要がある。
たとえば非正規雇用に対する差別の撤廃、障害者自立支援法の改正など、人間の尊厳を大事にする政策を唱える政党が次の総選挙で政権を取れるという期待感を市民が持てれば、政治の変化はさらに加速するであろう。国会内だけではなく、市民社会に対する民主党の感度が問われている。
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