やんちゃな社会派、マイケル・ムーアの最新作が医療問題をテーマにしているというので、早速見に行った。実は、私は日本医師会の医療政策会議という政策諮問機関の委員も務めており、医療問題には一応関心はあるし、少しは勉強してきた。医療政策は、市民社会民主主義プロジェクトにとっても、中心的なテーマである。実際、期待は裏切られなかった。私がこの数年一貫して叫んできた「リスクの社会化」という理念を、ムーアは説得力のある映像によって、具体化してくれた。突撃、アポなしインタビューという手法も、今回は控えられており、そのことがかえって映像の説得力を増している。
この映画は基本的にアメリカの医療の深い矛盾を、様々エピソードを通して描いたノンフィクションである。最大の矛盾は、アメリカは先進国の中でも、経済規模との対比において最も多額のお金を医療に投じながら、平均寿命や乳児死亡率などの指標においては先進国の下位にあるという現実である。この映画では具体的な数字は紹介されていないが、下に示すのは、公的医療費(税金と社会保険料による医療費)と私的医療費(個人が病院、薬局、民間保険会社などに支払った医療費)がGDPに占める割合の国際比較である。投入された資金で見る限り、アメリカは、世界最大の医療大国である。
表 GDPに対する医療費の割合(%) 2003年
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日本 |
アメリカ |
イギリス |
ドイツ |
フランス |
スウェーデン |
公的医療費 |
6.5 |
6.8 |
6.7 |
8.5 |
8.1 |
7.8 |
私的医療費 |
1.5 |
8.4 |
1.2 |
2.4 |
2.3 |
1.4 |
合 計 |
8.0 |
15.2 |
7.9 |
10.9 |
10.4 |
9.2 |
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ついでに、小さな政府が好きな人は、もちろん福祉国家を望む人も、次の表をじっくり見ていただきたい。
表 公的社会支出と民間の社会支出(対家計支出比、%)
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スウェーデン |
アメリカ |
民間保険・教育・私的年金 |
2.7 |
18.8 |
デイケア |
1.7 |
10.4 |
計 |
4.4 |
29.2 |
税 |
36.8 |
10.4 |
計+税 |
41.2 |
39.6 |
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世界で最も小さな政府のアメリカでは、税金が安い代わりに、医療、教育、保育などに個人個人が大変な負担をしている。これに対して、世界で最も大きな政府であるスウェーデンでは、税金はきわめて重いが、医療、教育、介護、保育などに関して個人の負担はきわめて小さい。税負担と医療や教育に対する社会的支出を全部合算すれば、アメリカもスウェーデンも負担はそれほど違わない。違いは、健康で文化的な人間生活に不可欠な医療、介護、教育、保育などのサービスを、政府に税金を払って提供してもらうか、個人個人が市場で購入するかという点にある。
ムーアの作品は、市場を通して医療というサービスを購入するアメリカ型システムの歪み、矛盾をこれでもかといわんばかりに明らかにしていく。まず、3億人近い人口のうち、約5千万人、つまり15%以上もの人々が、貧困のために医療保険に加入できない。つまり、無保険状態である。当然、この人々は病気になっても、怪我をしても治療は受けられない。
大半の人々は民間の保険会社が販売する医療保険に加入して、病気や怪我に備える。しかし、保険に入っているからといって安心はできない。保険会社は、民間企業である以上、利益を追求する。利益を増やすためには、加入者に対する保険金の支払いを少しでもケチることが合理的な手段となる。過去の些細な既往症をほじくり出して告知義務違反を盾に保険を解約し、保険金を支払わない、専属の医師が三百代言よろしく加入者の保険金申請を断っていく。かつて保険会社で働いていた事務員や医師が、加入者の切実な申請を冷酷非情に却下し続けることに対して、良心の呵責を感じ、保険会社の実態を告発するという場面が何度も出てくる。しかし、保険会社は資金力に物を言わせ、議員を献金で取り込み、自分たちに有利な法制度を守り、作り出していく。
保険会社は空前の利益を上げ、その経営幹部は数億円から十数億円に上る賞与を手にする一方で、ガンなどの大病を患い、医療費を払いきれず、家を手放し、途方にくれる人もいる。入院費を払えない患者は、まさに粗大ごみのようにホームレス支援センターの前に遺棄される。
ムーアは、カナダ、フランス、イギリスなどの外国に渡り、それらの国で医療がどうなっているかを調べる。カナダやヨーロッパの国々では、医療費の自己負担はない。すべて税金と社会保険料でまかなわれており、患者にとってはただで治療を受けられる。
イギリスのNHS(国民保健サービス)について調べるため、ムーアはイギリス労働党左派の総帥であったトニー・ベン(元下院議員)にインタビューする。ベンは、教育と健康を備えた人間は、自立し、誇りを持って行動するので、政治に対しても発言する。だからこの2つのサービスを政府が無償で提供することは民主主義にとって不可欠だと力説する。逆に言えば、国民を隷従させたい政府は、教育と医療を高価な財として市場で供給し、一般国民を無力で卑屈な存在にしたがる。ベンと言えば、労働党最左派の頑迷なリーダーというイメージが強いのだが、彼の語り口は穏やかながら、民主政治の本質を突いている。この議論は、私が以前に監訳したコリン・クラウチの『ポストデモクラシー』にも通じる。クラウチは、グローバリゼーション時代の民主主義について、医療や教育という公共サービスを市場に任せ、劣化させることによって、民主主義自体も劣化することを厳しく糾弾している。
キューバにあるグアンタナモ米軍基地では、ここに抑留されているテロ容疑者に対して十分な医療サービスを行っている。他方、911事件直後に救援に加わり、ほこりを吸って呼吸器疾患にかかった人々のなかでも、ボランティアとして活動した人には公的支援が十分行き届いていない。義憤に駆られてムーアはこの人々をグアンタナモに連れて行き、治療を要求する。相手にされないので、キューバに入国し、同国の病院に連れて行き、十分な治療を受ける。アメリカでは、キューバは邪悪な共産主義の国と宣伝されているが、911の英雄たちは、そこで初めて人間を人間らしく尊重する医療サービスを受けることができた。
前作「華氏911」では、ムーアの反ブッシュという政治的主張が前面に出て、それがあの映画を少し平板なものにした憾みがあった。しかし、今回の作品ではムーアは何ら政治的主張をしていない。彼はただ、人間の尊厳を守れと言っているだけである。入院費を払えないというだけで患者をごみのように捨てる国と、国籍には関係なく病気の人を治療する国と、どちらが人間の尊厳を守っているのだろうかというムーアの悲痛な問いが伝わってくる。人間が人間らしく生きるという価値に照らして、アメリカとヨーロッパやカナダやキューバでは、どちらが望ましい社会なのだろうか。ムーアはアメリカ人、さらには世界の人々にそのような根本的な問いかけをしている。病気やけがは誰しも遭遇する問題であり、だからこそみんなで互いに助けある社会を作ろうというムーアのメッセージは、実に凡庸で当たり前の結論である。しかし、その当たり前のことを実現することが極めて困難な時代だということを改めてかみ締めたい。
最後に、日本への教訓を一言書いておきたい。日本は、世界に冠たる医療費小国で、世界に冠たる健康長寿大国である。しかし、近年構造改革の名の下に医療費削減が進められ、医療サービスの崩壊が始まった。これについては、地方における病院の消滅、救急車のたらいまわしなど、センセーショナルな報道が後を絶たない。
さらに、アメリカの保険会社は日本を次なる有望な市場と見て、参入のための攻勢を強めている。また、アメリカ政府が日本に対して毎年突きつけている「年次改革要望書」の中では、薬価を審議、決定する中央社会保険医療協議会にアメリカの製薬会社の代表を入れろなどと、好き放題を言っている。これに呼応して、アメリカのまねが大好きな学者や経営者は、経済財政諮問会議や規制改革民間開放推進会議などで、医療の規制緩和を唱え、保険外の自由診療の拡大を要求し続けてきた。現在は経済財政諮問会議の委員をしている八代尚宏の編著では、アメリカでは所得水準と支出医療費が相関関係にあることから、日本でもアメリカに倣って医療の規制緩和を進めれば、金持ちが高度な医療サービスを買い求めるようになり、新たなビジネスチャンスが広がるという主張が展開されている。
しかし、ほかならぬアメリカの事例が示す通り、医療に関しては市場原理の拡大は、命を金で買うという結果をもたらす。効率化だの選択の自由だのを念仏のように唱える小さな政府というカルト集団は、日本の医療の世界にも市場原理を持ち込もうとしている。こうした亡国、売国の主張に対する免疫をつけるためにも、この映画は必見である。
追記
政治的に自民党支持を鮮明にしている日本医師会の手伝いを私がするのは、リスクの社会化装置を守りたいという一念からのことであり、専門職集団としての医師会に一縷の期待を抱いているからにほかならない。
本文で紹介した統計資料については、権丈善一氏(慶應義塾大学商学部教授)の著書に多くを負っている。「シッコ」を見て医療について関心を持った方は、権丈先生の著書、『医療政策は選挙で変える』(慶應義塾大学出版会)をぜひ読んでください。
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