参議院選挙における自民党の大敗の一因が、地方の反乱にあったことは明らかである。小泉構造改革という名の下に、地方に対する支援策は切りつめられてきた。かつて規制改革民間開放推進会議の議長を務めた宮内義彦氏(オリックス会長)は、北海道の人口は二,三百万人で十分だという発言を公然と行った。つまり、北海道には人が多すぎるから政府が福祉、雇用、教育などの余分な経費を投入しなければならないというわけである。彼の主張を敷衍すれば、行政コストのかかる田舎には人は住むなという結論にたどり着く。小さな政府を作りたい人々にとっては、田舎に住む人は足を引っ張る邪魔者に見えるのであろう。だからこそ、今回の選挙では地方の住民が自民党に復讐したのである。
構造改革論者の致命的な誤りは、人間が自由に選択できない事柄についても、選択の自由と自己責任原理を当てはめた点にある。人間は生まれる場所や家庭環境を選べない。家業を継ぐことを当然と考える人も大勢いる。改革論者は、地方の住民に向かって、雇用がない、病院がないと言うなら、仕事や病院がある場所に移ればよいと平然と言う。しかし、人間はそう簡単に移動できるわけではない。生活の本拠や仕事は、自由な選択の結果というより、それを宿命として引き受け、それぞれの地域で人々はコミュニティと生業を守ってきた。小泉構造改革は、そうした人々の暮らしを押し流しているのである。
安倍晋三首相は、選挙での大敗に懲りて、地方重視の姿勢を打ち出し、増田寛也総務相に地域格差是正という特命を与えた。首相の政策転換が本物かどうかは、年末の予算編成を見ればすぐに分かる。「美しい国」だの「郷土を愛する」だのといった下らない精神論は止めてもらいたい。中央省庁が来年度予算に向けて地域支援策を競っているのを見ると、いい加減にしろと言いたくなる。国の補助事業をもらっても、地方は元気にならない。中央官僚は地方をだしにして自らの権益を守ろうとしているだけである。
今の地方に必要なのは、自由に使える金である。地方では、地方交付税の相次ぐ削減によって、教育や医療など、住民の生活を支える最低限の公共サービスさえ維持できなくなっている。ばらまき政治に戻ってはならないとしたり顔の評論家はいう。地方も今さら公共事業の大盤振る舞いを期待しているわけではない。過去数年間、中央官僚が恣意的に削ってきた地方交付税を、地方自治体が必要最低限度の公共サービスを行うための財源という本来の姿に戻すだけで、地方は息をつける。夕張問題の教訓もあり、最低限度の財源さえ確保されれば、後は何とか頑張ると覚悟を決めつつある自治体が多い。
今後の地域政策を考える際には、二一世紀の日本の国土をどのようにデザインするかという根本的な理念を明確にする必要がある。宮内氏の言うように、効率を追求し、市場原理によって集中を進めるのか、多様な地域で多様な産業や暮らしを維持できるような国を守るのか、国民の選択が問われているのである。
遠藤武彦農水相の辞任で、安倍改造内閣は早くも末期症状を呈している。安倍政権が死中に活を求めるなら、地方分権に目標を絞り、具体的な政策転換を実現すべきである。
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