安倍晋三首相が突然政権を放り出したことは、政界のハプニングではなく、憲政史上最悪の不祥事である。安倍氏は、退陣表明のわずか二日前の所信表明演説で、「全身全霊をかけて、内閣総理大臣の職責を果たしていくことをお誓い申し上げます」と宣言したばかりである。国民に対する誓いは、それほど簡単に破棄できるのか。権力の重みを理解せず、無責任にも程がある。言語道断と言う以外に、表現を思いつかない。
また、このような安倍氏を総裁・総理に選んだ自民党の責任も重大である。安倍内閣の閣僚が不祥事を起こすたびに、総理の任命責任が問われた。しかし、不適格な総理そのものを選んだ責任は自民党にある。この退陣劇は、自民党自体が統治能力を失った結果である。
小泉純一郎前首相は、「自民党をぶっ壊す」と叫んで、改革路線を走った。確かに、時代遅れの政策や腐敗した組織を壊すことは必要であったろうが、小泉時代には自民党の最も大事なところも壊れてしまったように思える。「総理の器」という言葉もいまや死語となった。
昔から政治家には、判断力と責任感の二つが必要だと言われてきた。実際には、小泉時代に人気者のリーダーに便乗して自らの政治家としての地位を守ろうとする付和雷同型の政治家が増えただけであった。わずか一年前の自民党総裁選挙において、選挙向けの顔になるという理由で、安倍氏が圧倒的な支持を得たことは、その端的な現われであった。自民党は烏合の衆と化し、政治家は自分の頭で考えることを放棄した。ふわついた人気を頼りに最高権力者を選ぶ政治家に、判断力や責任感があるはずがない。
政局の焦点は、後継総裁選びに移るであろう。与党は政治の空白を作るべきではないと主張している。しかし、このような自民党が政権を担当すること自体が、政治の空白である。国際公約を果たすなどと偉そうなことを言う前に、日本の中でまともな民主政治を取り戻すことが必要である。
本来ならば、自民党は総裁・総理の首をすげかえるのではなく、国民への背信の責任を取って下野し、選挙管理内閣を作ったうえで速やかに解散総選挙を行うのが、憲政の常道である。それが理想論であるとしても、民意の審判を受けずに政権をたらいまわしするのはもう限界である。後継内閣は、解散総選挙を早期に行い、国民の信託を受けた新たな政権を作り出すべきである。
|