九月の初旬、イギリスを訪ねて数人の政治学者と会談した。イギリスでは、六月に十年務めたトニー・ブレアが首相の座を降り、長い間蔵相としてブレアを支えてきたゴードン・ブラウンが首相に就任した。ブレア前首相はイラク戦争への突入によって国民の強い非難を浴びたが、労働党としては史上初の総選挙三連勝という偉業を成し遂げ、空前の長期政権を築いた。これはブレアのカリスマ性の賜物であろう。大首相の長期政権を引き継ぐという点で、イギリスのブラウン首相と日本の安倍晋三首相は似たような立場に置かれているということもできる。しかし、政権運営の手法では対照的である。
ブラウンは、自分が華のない政治家であることをよく自覚している。したがって、メディアに露出したり、人目を引くようなパフォーマンスをしたりという手法をあえて避け、堅実さを売り物にしている。英語では、政治家の演出、振り付けのことをスピンというが、ブラウン新首相は逆のスピンをかけているとイギリスの学者は評していた。アメリカとの間で徐々に距離をとりながら、イラクからのイギリス軍の撤退を進めたり、国内での医療や教育の拡充を着実に進めたりといった具合に、現実的に政策的成果を挙げようとしている。ブレア政権の末期には、労働党は保守党に支持率で大きく後れを取っていた。しかし、ブラウンのそうした姿勢が世論調査で予想外の支持率を獲得する原因となっている。見た目もよく、弁も立つが、しばしば傲慢になり、戦争という間違った道に進んだブレアよりも、まじめでひたむきに政策に取り組むブラウンに、イギリス国民は好感を持っている。そのため、ブラウン首相の下での早期の解散総選挙も取りざたされている。
日本では、安倍首相が突然の退陣表明をして、政界は大混乱である。安倍首相が短命に終わったのは、彼が小泉前首相との違いや、自分自身の弱みを十分自覚していなかったところに、最大の理由があったように思える。カリスマ性によって常に国民の支持をひきつけるということは、誰にでもできる業ではない。安倍は小泉の大統領的なリーダーというイメージを引き継ごうとして、与党や内閣の求心性を高め、自分を前面に出そうとした。能力をともなえばそうした手法も有効でありうるが、安倍の場合自分を前面に出せば出すほど国民の失笑を買うという悪循環が起こった。また、政策面でも、国民の生活に具体的に影響を及ぼすものについて着実に改善するというよりも、憲法や政治体制など、日常生活から遊離した大言壮語を好み、政権全体が宙に浮いた印象を与えた。安倍首相の場合、己を知ることができないあまり、参院選の大敗にもかかわらず政権にしがみついた。しかし、自民党内にも高まる安倍首相への反発に耐えきれず、政権を投げ出した。
まさに、自民党のみならず、日本の政党政治全体が大きな危機に陥っている。誰が次の首相になるにしても、また万一、早期の解散総選挙で政権交代が起こるとしても、イギリスのブラウン首相の政権運営は日本の政治にも大きな教訓をもたらすように思える。政治とはこれ見よがしのパフォーマンスをすることではない。国民が共通して抱えている問題を一つ一つ解決していく作業こそ、政治の本質である。次のリーダーは国民にイメージを売り込むことよりも、具体的な問題に取り組み、政治家としての中身をじわじわと国民に浸透させるという手法をとるべきであろう。
安倍政治の失敗を乗り越えるためには、小泉政治の影を払拭することが必要である。中身よりもイメージ、論理よりも感情で国民の多くが思考停止に陥っていたのが小泉時代であった。安倍はその延長線上で失敗した。だとすると、ここで政治をもっと堅実な作業に引き戻すことこそ必要である。与野党の政治家はもとより、メディアもまた政治におけるまじめさ、ひたむきさを再評価すべきである。
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