参議院選挙での自民党の大敗、安倍政権の居座り、突然の退陣表明、そして後継総裁選び、一連の政治の動きを観察すると、政党と政治家個人の脆弱化が重なり合って見える。九〇年代以来、日本では政権交代可能な政党システムや、リーダーシップを発揮できる内閣を作り出すために、選挙制度や内閣制度を改革してきたが、制度改革だけでは解決できない課題が存在することを、一連の事態は教えている。
最近の日本の政治学では、自民党の体質変化を指摘する声が多くなった。つまり、小選挙区制と政党助成金が政党の求心力を強め、内閣制度の改革は首相のリーダーシップを強め、両者があいまって自民党において首相=総裁による支配が可能になったというわけである。確かに、小泉政権の動きからはそうした結論を引き出すことも可能であった。
現実には、小泉首相退任からわずか一年で、自民党は未曾有の危機を迎えた。政党が求心力を強めたり、首相のリーダーシップを強化する仕組みを作ったりすることと、政党や内閣が活力や権力を保持することは別である。確かに、小泉首相は日本の首相としては珍しく権力を有効に行使して、政策を実現した。しかし、それと並行して自民党内では、小泉という例外的な人気者にぶら下がることで選挙に勝てるという便法の味をみんなが覚えてしまった。活発な議論を通して政治家が政策を共有することで政党の統合が強まるという本来の道ではなく、楽をして確実に選挙に勝つために人気者を探すという事大主義が強まることで政党の求心力が強まるという、不健全な現象が自民党内で進んだのである。
昨年の総裁選挙で安倍首相に圧倒的な支持が集まったのも、参院選の大敗にもかかわらず安倍政権の存続を自民党議員が許したのも、今回福田康夫が党の国会議員の大半の支持を得ているのも、そうした事大主義の現われである。福田は、それ自身が人気者ではないが、安倍と一体だった麻生よりはましという動機で、雪崩が起こっているのであろう。
選挙制度や内閣制度の変更が自動的に強いリーダーシップや活力ある政党を作り出すわけではないという当たり前の現実を、我々は見せつけられている。確かに、政治を作り出すのは人である。今の自民党では、新しい政治や行政の制度に適応して個々の政治家が合理的に行動した結果、皆が主流派になびくという同調主義がはびこり、結果として政党の力は衰弱している。
ここからよい首相を造り出すにはどうすればよいのか。よいリーダーには正しい意味での権力欲が不可欠である。権力の保持ではなく、権力をどう使うかに関心を向けなければならない。次期総理が確実視されている福田氏が、立候補表明の際に自分の政策さえ原稿を見なければ語れなかった様子を見ると心もとない。
政治家は敗北によって鍛えられ、反対勢力の側から権力を奪取しようとするときこそ、明確な権力欲を持つ。小泉氏はその点で、自民党内の異端児であり続けたからこそ、権力をどう使うかについて具体的な意欲を持ちえたのである。
いつも与党でなければ生きていけないと権力にしがみつくことを権力中毒症と呼べば、今回の混迷は、自民党の権力中毒症の末期症状ということができる。小泉という劇薬の薬効が切れたところで、自民党はのた打ち回っている。新総裁の誕生でこれを立て直せるのかどうか。この上は早期の解散総選挙で、国民が政治家を鍛えるしかない。
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