かねてから軍需商社との癒着を噂されてきた守屋武昌前防衛事務次官について、いよいよ過剰接待や口利きなどの疑惑が噴出しはじめた。
言うまでもなく、軍事部門は防衛や安全の美名に隠れて、一人歩きする傾向がある。アメリカでも日本でも、テロとの戦いや北朝鮮の脅威など、国民を思考停止に追い込むようなスローガンが流布し、その陰で軍事関係者の利権追求が行われてきたようである。そして、アメリカでも日本でも、政権が落ち目になると、今まで隠してきた腐敗がようやく露見するようになった。国民に代わって軍事部門を監督すべき大統領、首相その他大臣が十分役割を果たしていないから、そのようなことになる。
アメリカでは、イラク戦争で警備や物資輸送などを請け負う民間軍事会社が、実は滅茶苦茶な殺戮を行っていたことが明らかになり、政界を揺るがせている。営利追求のみを追い求める資本の論理は、軍需産業のみならず、実際の戦闘、さらに言えば殺人をも金儲けの手段として利用するようになった。国家の軍隊はまだ国際法という規則に縛られるが、現地政府が実効的な支配をしていない空間では民間会社を縛る法はない。この事件は、資本主義の最も醜悪な姿を現している。また、ブッシュのアメリカ戦争をだしにしてどれだけ腐敗しているかも、明らかにしている。
日本でも、インド洋における給油問題に続いて、守屋前次官の疑惑は、文民統制の難しさを教えている。文民統制とは、事務方の官僚が軍事組織を統制するという意味ではない。国民の代表者である政治家が軍事組織を統制することこそ、本来の文民統制である。しかし、歴代の政府、防衛相は、事務方のやりたいようにさせてきた。守屋氏のような人物を四年間という異例なほど長期間にわたって事務次官に君臨させたのは、政治の怠慢の結果である。政府にこの問題を解明する能力があるとは思えない。
文民統制の主体として、野党こそが奮起しなければならない。参議院における優位を生かして、事実の究明と責任追及を行うことについては、世論も支持するに違いない。
政府、自民党からは、守屋問題と切り離して、インド洋における給油の継続について議論すべきだという声が聞こえてくる。そのような見え透いた逃げを許してはならない。二つの問題は、自衛隊を政治の力でどのように統制するかという意味では一体のものとして捉えるべきである。日本が立憲主義の国であるためには、防衛省や自衛隊を憲法の統制に服させることが絶対に必要である。具体的には、自衛隊がイラクにおけるアメリカの非人道的な戦争に加担するようなことは絶対にあってはならない。また、防衛省の役人が国防の美名の下で利権を追求するようなことは絶対にあってはならない。ここで防衛疑惑の追及が十分できなければ、将来の民主政治に禍根を残すことになるであろう。
インド洋での給油を停止しても、日本の国際的名誉が傷つくことはない。むしろ、防衛省や自衛隊の独走を放置し、政治の弱体ぶりをさらけ出すことこそ、日本の不名誉である。この際野党には、防衛政策に関するすべての疑惑を徹底的に追及すべきである。野党優位における参議院の力をどのように活用するか、まさに野党の真価が問われている。
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