私は9月上旬から中旬にかけてイギリスを旅行していた。安倍首相退陣の報はロンドンで聞いた。現地のメディアもこの意外な出来事は、ある程度詳しく報じていた。普段は論調を異にする各紙も、「安倍はサムライを気取っていたが結局は弱虫だった」(『ファイナンシャル・タイムズ』)、「日本はその国力にふさわしいリーダーを持っていない」(『ガーディアン』)など、日本政治におけるリーダーの不在を論難する点では一致していた。
所信表明演説の2日後、代表質問の直前に首相が退陣することは、国会、国民に対する背信行為である。これは、憲政史上未曾有の不祥事である。病気だからと安倍をかばう声もあるが、重篤な病状だったのなら話はいっそう深刻である。もし安倍が重病だったのなら、まともな判断能力のない者が数日、あるいは数週間も首相の座に居続け、国会を召集し、所信表明演説までしたことになる。重病のパイロットが操縦する飛行機に日本人全体が乗せられていたようなものである。一連の混乱は、安倍および彼を取り巻く自民党や内閣の指導者たちが、いかに国家を軽んじ、政治を甘く見ていたかを物語る。
ヨーロッパから見れば、日本は依然として東洋の神秘である。1990年代以来いくつかの制度改革を行って、世界標準の民主主義を実現すべく、試行錯誤を重ねてきた。小泉時代には、人気のあるリーダーが明確な政策を掲げて長期政権を維持するという分りやすい政治が実現したかに見えた。しかし、小泉の退場とともに政党政治は再び迷走を続けている。政党政治は持続可能性を欠いている。
小泉以後の日本政治の混迷は、政治手法の面でも、政策の面でも、小泉政治を乗り越えることができていない点に原因がある。以下、本稿ではそうした混迷について考察を加え、今後の展望を試みることとしたい。
“政治の人格化”の後始末――日本とイギリスの対照
今回イギリスに行った目的の一つは、トニー・ブレア以後のイギリス政治について調査することであった。現地の政治学者とポスト・ブレアのイギリス政治について議論する中で、ゴードン・ブラウンと安倍晋三の対比が面白いと考えていた矢先の退陣表明であった。両者はともに長期政権を持続したカリスマ的なリーダーの後継者という点で同じような立場に置かれていた。彼らはともに、政治の人格化の後始末をどうつけるかという問題に直面していたのである。
政治の人格化とは、次のような現象である。従来の政党や組織を政治行動の単位とする代表民主政に対する不満が高まると、リーダーは古い政党組織を否定し、国民に直接語りかけて、国民の支持を獲得しようとする。組織に束ねられず、しがらみを持たない普通の市民と直接結びつくことによって、支持を得ようとするのである。また、代表者による交渉ではなく、民意を政策決定過程に直接伝えることによって、迅速でダイナミックな政策転換を図るようになる。これらの特徴はトニー・ブレアと小泉純一郎の両者に当てはまる。
このような手法をどう継承、あるいは否定するかが後継者に問われているのだが、この点についてはブラウンと安倍は対照的である。
ブラウンは、自分が華のない政治家であることをよく自覚している。したがって、メディアに露出したり、人目を引くようなパフォーマンスをしたりという手法をあえて避け、堅実さを売り物にしている。イラクからの段階的な撤退、国内における平等の重視など、前政権とは異なる政策を着実に実行しようとしている。英語では、政治家の演出、振り付けのことをスピンという。今回、労働党のスピンを担当していたブレーンにもインタビューできたが、彼は、ブラウン政権は政治を金ぴかの活動ではなく、しらふ(sober)でするものに変えたと表現した。ブレア政権の末期には、労働党は保守党に支持率で大きく後れを取っていた。しかし、ブラウンのそうした姿勢が世論調査で予想外の支持率を獲得する原因となっている。見た目もよく、弁も立つが、しばしば傲慢になり、戦争という間違った道に進んだブレアよりも、まじめでひたむきに政策に取り組むブラウンに、イギリス国民は今のところ好感を持っている。
安倍首相が短命に終わったのは、彼が小泉前首相との違いや、自分自身の弱みを十分自覚していなかったところに、最大の理由があったように思える。カリスマ性によって常に国民の支持をひきつけるということは、誰にでもできる業ではない。安倍は小泉の大統領的なリーダーというイメージを引き継ごうとして、与党や内閣の求心性を高め、自分を前面に出そうとした。内閣には補佐官や諮問会議を配置し、トップダウンによる政策展開を目指した。能力をともなえばそうした手法も有効でありうるが、安倍の場合、自分を前面に出せば出すほど国民の失笑を買うという悪循環が起こった。支持率頼みの政治という手法の脆さが露呈したのである。
政策面での矛盾に引き裂かれ
政策面では、安倍自民党は二つの矛盾に陥った。第一は、ナショナリズムと普遍的価値の矛盾である。第二は、強者が謳歌する自由と弱者も対象とした平等の矛盾である。
第一の矛盾は、安倍が戦後レジームからの脱却を唱え、国家主義やナショナリズムの色彩を濃くすることによって深まった。一方で安倍は「価値観外交」を唱え、自由と民主主義を共有するパートナーとしてアメリカやインドを重視していた。他方で、粗野なナショナリズムを前面に打ち出し、「従軍慰安婦問題に狭義の強制はなかった」などと、国際的にはきわめて非常識な発言を行なった。自由、民主主義、人権という価値観と、国際的に侵略戦争と認定されている戦争を日本人だけが正当化するという自己中心主義は相容れないのである。自由、民主主義、人権と、過去の戦争をどう意味づけるかという歴史観は不可分の関係にある。にもかかわらず安倍および取り巻きの政治家やブレーンはこの点について救いがたいまでに無知であった。その無知は、国際社会における日本の孤立を招いた。
第二の矛盾は、国内の経済社会政策に関して、自民党の政治家が日々直面しているものである。小泉時代には構造改革という曖昧なシンボルによってこの矛盾は糊塗されてきた。小泉という憑き物が落ち、「改革」の成果が地域社会や個人生活で目に見えるようになって、従来自民党を支持してきた人々も、自民党政治を疑い始めた。7月の参議院選挙で、自民党は「成長を実感へ」というスローガンを唱えたが、所詮これは不可能な話である。新自由主義的構造改革を進めることによって、成長の果実が一握りの上層に帰着し、その他大勢はジリ貧という経済構造に日本も移行したからである。国民もそのことを体感的に察知している。
安倍はこの二つの矛盾で引き裂かれた。小泉のように徹底してあっけらかんとした人物ならば矛盾があっても平気なのだろうが、安倍はこの点でひ弱であった。参議院選挙で大敗し、この矛盾の深さを思い知らされた安倍は、心身ともに崩れていったのであろう。
強いリーダーがもたらした自民党の脆弱化
安倍という、選んではならない人物を総裁・総理に選んだ自民党は、党全体として統治能力を失っている。安倍を首相に選び、支えてきた政治家は、まず何よりも自らの不明を恥じ、国民に詫びなければならないはずである。なぜ自民党はこのような惨状を呈することになったのだろうか。
皮肉なことに、最近の日本の政治学では、自民党の体質強化を指摘する声が多くなった。つまり、小選挙区制と政党助成金が政党の求心力と党執行部の指導力を強め、内閣制度の改革は首相のリーダーシップを強め、両者があいまって自民党において首相=総裁による強力な支配が可能になったというわけである。確かに、小泉政権の動きからはそうした結論を引き出すことも可能であった。
現実には、小泉首相退任からわずか一年で、自民党は未曾有の危機を迎えた。政党が求心力を強めたり、首相のリーダーシップを強化する仕組みを作ったりすることと、政党や内閣が活力や権力を保持することは別である。確かに、小泉首相は日本の首相としては珍しく権力を有効に行使して、政策を実現した。しかし、それと並行して自民党内では、小泉という例外的な人気者にぶら下がることで選挙に勝てるという便法の味をみんなが覚えてしまった。自由で活発な議論を通して政治家が相互に鍛えあいながら政策を共有し、それを通して政党の統合が強まるという本来期待された一元化、集中化は起こっていない。逆に、楽をして確実に選挙に勝つために人気者を探すという他者依存と事大主義が強まり、それがみせかけの求心力を強めるという、空虚な集権化が自民党内で進んだのである。
多くの政治学者が指摘する通り、一連の政治制度改革によって政府や政党を一元化、集中化し、権力と責任の所在を明らかにするという目的は達成された、と評価できる。しかし、同時に一元化や集中化は、政治家の能力、適格性を剥き出しにし、常にリーダーを国民の厳しい視線の矛先に置くという効果も持つ。このような状況においては、政治家、政党は、従来よりも大きなリスクを抱え込まざるをえない。安倍首相はおそらくそのリスクに耐えられなかった最初の事例となるのであろう。
現在の自民党を見ていると、権力の集中や一元化に向けて政治制度の整備が進む一方で、政治家の中には、主流派でいたいとか楽をして選挙に勝ちたいという同調主義がはびこっている。権力と責任の所在が明らかになったにもかかわらず、その権力を担う主体は育っていない。むしろ主体の劣化が進んでいるという印象さえ受ける。「癒し系」の福田康夫を後継首相に据えたからといって、自民党の危機が収まるわけではない。未熟な政治家に代わって古手が首相になったからといって自民党を許すほど、国民も甘くはない。一元化された政党や内閣という制度の中で権力を使いこなすリーダーを鍛え、作り出すという課題は、今始まったばかりである。もちろん、最大野党民主党も、この課題にともに取り組まなければならない。
ポスト小泉の日本政治――早期の解散総選挙を
90年代以降の日本政治の展開の中に現在の混迷を位置づけるならば、次のような図式で捉えることができるだろう。旧田中・竹下派を中心とする自民党と官僚の連合体が長年維持管理してきた戦後日本の政策システムがグローバル化やバブル崩壊、さらに少子高齢化などによって破綻し、その善後策として小泉首相による構造改革が登場してきた。戦後的政策システムは、周期的な腐敗、非効率や無駄などの弊害をともなう半面、平等や弱者、地方への配慮という機能も併せ持っていた。小泉構造改革は、政治家や官僚の既得権を打破し、政策の効率化を進めた半面、従来政策で保護されていた人や地域に大きな傷跡を残した。そのことに対する反発が、いまや自民党を脅かしつつある。野党は構造改革の弊害を責めたてることで国民の支持を集めている。自民党は、小泉政権の成功を継承するという方向と、弊害を是正するという方向の二つのベクトルの矛盾を前に、悩んでいる。ポスト小泉の政治については、まだ針路が明確にできていない。
この混迷を打破する上でも、イギリスの経験はいろいろな意味で興味深い。
まず政治手法について、政治とは物事を成し遂げる(get things done)ことであるという原点に戻る必要がある。カリスマ的なリーダーはそう簡単に見つかるものではない。むしろ、小泉時代にそうであったように、特異な個性はまじめな議論や論理のつみあげを吹き飛ばすという弊害をともなう。今はむしろ、着実に政策を考え、国民に説明する能力の有無という観点から指導者を評価すべきである。
また、政策面では曖昧なシンボルを使って世論を動員するのではなく、国民が抱える問題に対して具体的な政策を、その費用と効果を含めて議論することが求められている。メディアは相変わらず改革の継続か古い自民党への回帰かなどという不毛な二者択一を総裁選の候補者に迫っている。もはやかつての官僚・族議員主導の政策への回帰はありえない。また、改革が小泉流の新自由主義的なものでなければならないといういわれもない。格差と貧困、社会保障の不安、雇用の不安定など、国民が抱えている問題について、これを政策課題として認識するのかどうか、また政策課題とするならばどのような手段によって解決するのか、具体的な議論こそが必要である。
自民党は今まで政権を維持するために、時折、リーダーのイメージや政策の基調を変えるという擬似政権交代を起こしてきた。今回、ベテランを中心に福田支持が強まっているのも、そうしたねらいであろう。これは民主党にとっては好ましくない事態である。折角参議院選挙で、「安倍の進める新自由主義」対「小沢の掲げる社会民主主義(民主党の議員はこの言葉を嫌うかもしれないが、小沢の政策は社会民主主義である)」という対立軸を明確にできたのに、福田はクリンチばかりするボクサーのようなものである。
しかし、自民党に正気が残っていれば、政策転換をするのが当然である。そうなると、二大政党の競争も、単なるスローガンの対比ではなく、より具体的な政策の競争に進化しなければならない。イギリスでも、保守党はサッチャー主義を捨て去り、医療や教育の充実という同じような政策をめぐって労働党と対決している。政策的対立が程度の差に収斂することはある程度やむをえない。ただ、程度の差を具体的に議論すれば、選択肢の違いは描けるはずである。
自民党においては、最大のスポンサーである経済界の要求と格差是正との間でどのように折り合いをつけるかという難問がある。また、経済財政諮問会議や財務省などの政策形成システムをどう動かし、構造改革推進派の若手をどう手なづけるかなど、福田にとっても難問山積である。他方、民主党が自らの政策に対する信頼と期待をいっそう高めるためには、財源の問題について明確にせざるを得ない。歳出の無駄を省くことは、魔法の杖ではない。
福田が総裁選挙で圧勝したとしても、彼の政権は正統性を持ち得ない。党内での政権たらいまわしはもう限界である。早期の解散総選挙によって、国民自身に選択の機会を提供することこそ、次期首相の最大の任務である。
|