通常国会の最大の争点は、揮発油税の暫定税率を続けるか、やめるかという問題である。民主党は暫定税率の廃止によって、国民のガソリン価格の引き下げというプレゼントを与え、来たる総選挙を有利に戦おうという戦術を持っているようである。国民新党を除く他の野党も暫定税率の廃止には賛成のようである。民主党を軸とした政権交代を主張してきた私であるが、この話を聞くと、仮に民主党が政権をとってもしょぼいものに終わるのだろうと失望を禁じえない。理由はともあれ税金は安いほうがよいという考えが、そもそも間違っている。これでは政権を取ってもたいしたことはできない。
私は、西ヨーロッパ型の福祉国家モデルを日本も採用すべきだと考えている。また、環境保護のためには経済成長をある程度抑制しなければならないとも考えている。日本の現状を見て、財務省と経済財政諮問会議およびその周辺にいるいかがわしいエコノミストの言う歳出削減路線が、社会保障を壊し、格差を広げたと憤っている。
このような理想や怒りを共有しているはずの左派、市民派の人々と話しをして、いつも感じるのは、税をめぐる認識の食い違いである。増税に反対する左派、市民派にあえて言いたい。税金は安いほうがよいという考えをとる限り、福祉国家はできないし、環境保護もできないし、財務省や経済財政諮問会議の路線を転換することもできない。
先日も、札幌の市民派ローカル政党を支持する市民と話をしていて、医療、介護に行政が責任を持つならもっと税金を払ってもいいけれど、今の政府は信用できないから増税には反対だという、市民派がよく言う主張を聞いた。しかし、信用できる政府を作ったうえで増税に応じるなどという話は、百年河清を待つ類である。新自由主義者や財務省は、政府は常に信用できないものだから、いつも小さいままでいいのだと、この種の議論を逆手に取る。
私は、今すぐ消費税率をあげろといっているのではない。所得税の累進性の回復や相続税の増税など、公平の観点から先にすべき増税が何種類かある。しかし、西ヨーロッパのような福祉国家を日本でも造るためには、国民も負担を避けられないと言いたいのである。
揮発油税にしても、安ければよいというものではない。化石燃料を消費することは、人類の歴史の中で我々世代に与えられた特権である。そのことにもう少し罪悪感を持つべきであり、石油にかけた税金で地球環境の保全のために大胆な行動を起こすのは、我々の責務である。道路特定財源の維持か減税かが争点ではない。この財源を地球のためにどう使うか知恵を絞るのが本当の政策論争である。
税金を取られっぱなしの年貢と考える点で、江戸時代の人間と今の市民派は似ているのかもしれない。民主政治の仕組みにおいては、我々が声を上げることによって、税金を社会保障や環境対策のために使い、我々自身が便益を受けることが可能である。我々が個人で医療費や教育費の負担に苦しむのではなく、税金を払うことによってこれらのサービスを無償にすることこそ、我々の生活を豊かにする。税のあり方を考えることは、社会のあり方を考えることである。
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