国家を船にたとえ、政治の最高指導者を船長にたとえる言い方は、昔からおなじみである。政府を意味するガバメントという英語の語源も、船の舵取りという意味だそうである。このところ日本では、まさに船の操縦に当たる責任者が不在であることが明白になっている。前に本欄で書いたことだが、船舶の輻輳する海域を自動操舵で突き進み、衝突事故を引き起こした最新鋭のイージス艦こそ、日本という国を象徴しているように思える。
国を自動操縦で動かすということは、官僚依存という意味である。官僚は周囲の変化に関係なく既存のプログラムに沿って仕事を進めるという習性を持っている。最近争点になっている政策や人事、揮発油税を道路建設にすべて使う、日銀総裁に二回に一回は財務事務次官経験者を当てるなど、すべて官僚の作ったプログラムである。そうしたプログラムが機能不全に陥れば、これを修正するのは政治の役割である。
このところ福田政権への不支持が増加しているのは、政治が果たすべき修正機能を放棄しているからに他ならない。今までの仕組みを全部ひっくり返すことが政治の役割だとは言わない。しかし、国会論戦で明らかになった官僚支配の弊害に対しては、政治の側からはっきりと是正させるという意思を示せないなら、政治家などいる意味はない。政府与党は、官僚をかばう親衛隊ではなく、官僚を厳しく監督、叱責する指揮者なのである。
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