三月中旬、江田五月参議院議長のご厚意により、議長公邸で政治学者を集めた研究会を開いた。故江田三郎氏が社会市民連合を立ち上げた頃からのアドバイザーであった篠原一東京大学名誉教授をゲスト講師に招いて、民主主義論の現状について議論した。私以上の世代の者にとっては、大変感慨深い会合であった。三〇年前に、憤死寸前の江田三郎がまいた種がともかく育ち、社会市民連合というミニ政党出身の江田氏が参院議長、菅直人氏が民主党代表代行として、二大政党政治の一翼を担っている。政治の変化というものは、これくらい長い時間の幅で考えなければならないのだろう。
しかし、国会の現状を見れば感慨にふけってばかりはいられない。江田議長からも、参議院が与野党対立状況の中でどう動くべきかという問いかけがあった。議長の苦悩が偲ばれた。もちろん、簡単な即効薬はない。篠原先生は、最近ヨーロッパで注目を集めている「討議民主主義」という理念についての講演をした。まさに、議論を徹底して深めることによって合意と政策を作るという理念を現代政治の中でどう生かすかというテーマは、世界の民主主義国で共通の関心事となっている。
その講演の中で、「民主的反復」という言葉が印象に残った。そもそも短時間の議論で結論が出るような問題には大した意味はない。たいていの重要課題については、甲論乙駁、議論が続くものである。いつ合意ができるか分からないし、同じ論点をめぐって議論が堂々巡りすることはまどろっこしいが、ともかく反復を重ねる中で、なにがしかの到達点が見えてくるということである。民主主義の先達であるヨーロッパ諸国でも、地方政治のレベルを中心に、様々な参加や討論の試みが重ねられている。
考えてみれば、参議院での与野党逆転からまだ一年も経っていないので、新しい討議のルールを造り出そうというのもせっかちな話かも知れない。また、国政レベルの政治には常に権力闘争がつきまとう。これを否定することは非現実的である。与野党に話し合いを求める全国紙の社説は、学者が言うのも変だが、あまりにも教科書的な絵空事であろう。
今の日本政治で討議民主主義を阻んでいる要因として、次の二つをあげることができる。第一は、衆議院における与党の三分の二という絶対多数である。憲法の規定により、参議院で否決された法案も衆議院の三分の二以上の多数によって成立させることができる。そうなると、与党は力ずくで法案を成立させようという誘惑に駆られるし、野党は参議院において、法案否決の結果に責任を負う必要がないので、心おきなく反対できる。こうなると話し合いの気運は高まらない。
第二は、福田政権が正統性を欠いている点である。福田政権は自民党内の都合でできたもので、まだ国民の審判を受けていない。政権支持率は下降気味で、一年以内に総選挙が予想されるという状況では、野党は国政の安定よりも、政変をねらいたくなる。結局、国会で討議民主主義を作動させるためには、早期の解散総選挙が前提条件になるのである。与党は、三分の二の多数を失うのは痛手と思うのだろうが、もし福田自民党が勝利すれば、三分の二を失っても、直近の民意による支持という強い正統性を持つ。国民によって選ばれた政権が当面続くとなれば、仮にねじれ状態が続いたとしても、野党は話し合いに向けて妥協せざるを得なくなる。
参議院における与野党逆転状況は、この半年あまりの間、いくつかの重要な成果をもたらした。何よりも、道路予算の実態など自民党安定政権時代には見えていなかった政治や行政の暗部、実態が明るみに出たことに意義がある。国民にとっても、次の選挙における判断材料は増えたであろう。次の総選挙をくぐることによって、日本の政党政治はさらに進化するのではなかろうか。
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