秋葉原の無差別殺人事件の衝撃について、屋上屋を架することになるが、やはり書かねばならない。
殺人犯に同情する余地はない。同じような境遇でも、まっとうに生きている人が大半である。しかし、犯人及びその家族を指弾することですむと思ったら大間違いである。1つはっきりしているのは、厳罰主義は犯罪の抑止には無力だということである。死刑になりたくて人を殺すという犯罪がある以上、罰を強化しても犯罪は防げない。
今回の事件をより根本的に考えるなら、生きる希望をまったく持てないような社会を造り出した側が、真剣に反省することから事件の解明は始まるべきである。この十年ほどの間、労働の世界は様変わりした。労働の規制緩和とは、人間をものと同じように扱ってもかまわないというルールを作り出したことを意味する。そのような潮流に棹さして、金を儲けた人もたくさんいる。
その一方で、もの扱いされる人間が大量に堆積することとなった。尊厳を無視された人間が増えれば、確率の問題として、これからも犯罪は増えるだろう。
我々が犯罪を他人事ではないと思うなら、犯罪に対するのと同じ怒りを、犯罪の原因である社会構造に向けるべきである。そして、人間の尊厳が守られる社会を回復するために、それぞれコストを払わなければならない。
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