通常国会も閉幕し、政治の関心はサミット後に内閣改造が行われるかどうか、民主党代表選挙がどうなるかといった話題に移りつつある。福田康夫政権の不人気には国民も福田首相自身も慣れてしまい、政府与党には奇妙な安定感が漂っている。
各種世論調査では、自民党支持率が少し上向きではあるが、次の総選挙でどこに投票するかという問いに対しては、自民党支持者を含めて民主党に入れるという人が多く、ともかく一度政権交代を起こそうという民意が強いことが窺える。
まさに福田政権は権力を維持するためだけに存在している。この政権には税制や社会保障などの重要な政策を決める政治的な力はない。衆議院の任期が切れるまで日々を過ごすだけという政権がこれから一年も続くということは、国民にとっての災厄である。
福田政権がずるずると延命すればするほど、次の総選挙における政権交代や再編成の可能性は大きくなる。それを見越して、いろいろな政治家による政権構想の出版が花盛りである。その中の一つの焦点は、消費税率の引き上げである。私自身は、日本を福祉社会にするためにはいずれ増税は不可避だと考えている。しかし、財務省流の財政再建のための消費税率引き上げには当面反対である。この問題については、議論の順序が重要である。
神野直彦氏が言うように、財政危機は社会や経済の危機の結果であって、原因ではない。中小企業が倒れ、労働者が低賃金にあえいでいれば、当然税収は減り、社会保障給付が増えて、財政は悪化する。人々が希望を持って働き、安定した収入を得れば税収も増え、財政も健全化する。財務省は社会や経済の危機には無頓着で、ひたすら財政危機だけを打開しようとする。だから社会保障費や地方交付税などの大口歳出をばっさり削り、数字の上でつじつまを合わせようとする。しかし、そのような財政改革で地域社会や国民生活が痛めつけられれば、結局税金を払う人がいなくなり、真の財政健全化は遠のく。今夕張市で起こっていることを見れば、このからくりが分るであろう。
政治とは未来を作り変える作業である。希望を失った若者が無差別に人を殺傷するという事件が起こるような日本を、これからどのように立て直すのか、問われている。人間をもの同然に扱うような法律、制度を推進した者は言うまでもなく、それを阻止できなかった我々も、深い反省の上に未来を語るべき時である。
人間の尊厳が守られる社会を作るためには、医療、教育、労働規制などさまざまな制度が必要であり、それを維持するためには費用がかかる。目指すべき社会の姿が示されないのに、負担だけ増やせと言われれば、国民が反対するのも当然である。消費税率をめぐる押し問答が有意義な政治論争に発展しないのは、それが数字を扱うだけで、これからの世の中をどう作り変えるかという広がりを持たないからであろう。
特に、政権交代を叫ぶ野党側の責任は重大である。福田政権が選挙を先送りするということは、野党が思想を鍛える時間を得たと考えればよい。
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