このところ、日本の首相は一体誰なのか分からない状態が続いている。臨時国会の召集は内閣の権限である。総理大臣がこうだと言えば、それで決まる話のはずだが、政府与党では臨時国会の召集時期や会期をめぐって延々と議論が続いている。この文章が読者の目に触れる頃には決着が付いているだろうが、このもたつきぶりは異常である。
政策面でも、景気対策の大型補正予算を組むのか、小泉政権以来の「改革」路線を継続するのか、与党内の綱引きが続いている。この点でも、福田康夫首相の意志はまったく見えてこない。その他にも、インド洋での給油を続けるのかどうか、年金財政への国庫負担の増額分をどのように工面するのかなど、重大な課題が待ちかまえているにもかかわらず、この政権が何をしたいのか、まったく分からない。福田政権は脳死状態に陥ったようである。民主党が政策面でバラバラだという批評がよく聞かれるが、バラバラという点では自民党も負けていない。
考えてみれば、昨年9月に安倍晋三前首相が政権を投げ出して以来、日本の政治は実質的に司令塔を欠いたまま漂流してきたようなものである。民主政治においては、権力は国民からの負託という正統性根拠を持たなければ維持できない。昨年の参議院選挙で大敗した後、自公連立政権は首相を代えようが、内閣改造を行おうが、民意の負託を得ることには成功していない。福田首相がどうあがいても、この政権が何かを実現する力を持つことはないのである。公明党がここへ来て、衆議院の3分の2による再可決という手法を取らないことを表明し、福田政権を揺さぶっている。その動機はともかく、これ以上民意から乖離したくないという判断は健全である。
このような政治の閉塞を打開するには、やはり解散総選挙しかない。次の政権を誰に任せるか国民が決めることによってのみ、新しくできた政権は懸案を処理するための政治的な力を持ちうる。
民主党では、小沢一郎代表の無投票再選が決まった。民主党としては当然の帰結であろう。政権をかけた決戦の前に、党内で論争をしている場合ではない。私は最近民主党議員を相手に話をする度に、「朝日新聞の社説など読むな」と言った。「開かれた代表選挙」だの「活発な政策論争」だの、中学校の生徒会長選挙のスローガンのようなことを並べていては、政権は取れない。政策論争など必要ない。民主党が政権を取れば、なすべきことは単純明白である。小泉構造改革でずたずたにされた社会保障、雇用、地域経済を立て直すことである。今は、民主党の政治家は地域を歩き回って、人々の苦しみを見、政治に対する切ない期待を聞く時である。
臨時国会では、野党は全面対決の路線を取るべきである。レームダックの福田政権には、政策協議をするだけの能力も正統性もない。公明党が衆議院での再可決に消極的になれば、重要法案はまったく成立しない。そうなると、解散総選挙で政局を転換するしかないという流れになるであろう。
一九九三年以来、日本の政治は長い回り道を続けてきた。その間、誤った政策によって日本社会は荒廃した。今こそ、国民を救うための政治の出番である。
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