日本政治を見ていると、あまりの起伏の大きさに、言葉を失う。三年前の九月は郵政解散で自民党は未曾有の大勝を遂げた。二年前には、自民党内の圧倒的多数の支持で、安倍晋三氏が小泉純一郎元首相の後継に選ばれた。
一年前はその安倍氏が突然政権を投げ出し、福田康夫氏が首相に就任した。そして今年は、福田氏も同じように政権を投げ出した。今回の退陣は、福田氏個人の問題ではなく、日本の保守政治の歴史的な限界の現れととらえるべきである。
戦後の保守政治は、外における対米追随、内における富の再分配を二本柱としてきた。この枠組みが揺らぎ始めたのは、冷戦が崩壊し、バブルがはじけた一九九〇年代である。
このころ自民党は政治改革の激震にも見舞われた。しかし、新党勢力が再編の過程でまごまごするのを尻目に、自民党は他党を巧みに引き込んで政権を維持してきた。そして、改革を看板とした小泉政権の段階で、富の再分配による国民統合という伝統的手段を自民党は放棄した。
安倍政権では、憲法改正という政治的争点を軸に新しい国民統合の手法を試みたが、あえなく挫折した。
その後を襲った福田氏は、結局統治の基本構想を持ち合わせていなかった。小泉路線を継承して経済競争の徹底を進めるわけでもなく、安倍路線を継承してナショナリズムを鼓吹するわけでもなく、昔のような地方と庶民に優しい保守政治に回帰するわけでもなかった。
この秋の経済対策をめぐる綱引きの中で、福田氏が自分の考えを明確にできなかったのはその現れである。
今の自民党は、この十数年間の生き残りのためにさまざまな政策や人気取りの手法を駆使した結果、本来相いれないはずの理念や政策を抱え込んだ恐竜のような存在になった。小泉時代にふくれあがった自民党は、逆に政策的一体性という面では、きわめて脆弱(ぜいじゃく)になった。
福田氏は退陣表明の会見で、参院における野党の抵抗が政策実現を阻んだと愚痴を言ったが、これは一国の最高責任者としてはみっともない責任転嫁である。
何かの政策路線を選択すれば必ず与党にはあつれきが起こる。首相はそれに耐えきれず、重要な政策課題を先延ばしにした。一日夜の会見を見て、次々と言い訳を繰り出して夏休みの宿題ができなかったと始業式の時に泣き言を言う子どもを思い出した。
自民党の混乱は結局この党が小泉氏を首相に据え、いくつかの政策転換を進めたことに起因する。たとえは悪いが、小泉は自民党にとっての覚せい剤であった。これを吸引した当座は元気になったような錯覚に陥る。改革という意味不明の言葉を振り回せば何かをしていられるような気分になれた。しかし、これに依存してしまうと、体はぼろぼろになる。
今の自民党に必要なことは、政党としての原点を確認する作業、どのような日本を目指すのかという理念を固め直すことと、国民の声に耳を傾ける作業である。次の総選挙に向けて、自らのアイデンティティーを再確立しなければ、自民党は過去の存在になるに違いない。危機はそこまで深刻である。
(2008年09月03日共同通信配信(山陽新聞、信濃毎日新聞などに掲載))
|