「フォーカス政治」の原稿を送ってやれやれと思っていたら、月曜夜、突然福田康夫首相辞任のニュースが入ってきて、原稿を全面的に書き直す仕儀となった。わずか一年の間に、立て続けに二人の総理大臣が唐突に政権を投げ出すというのは、異常事態である。とりあえず自民党は次の総裁を決め、臨時国会を乗り切ろうとするのだろうが、国民は自民党に対して、「もういい加減にしろ」と思っている。その意味で、福田首相は自民党政治の最終ランナーとしてバトンを受け継いだものの、道半ばで走ることを辞めてしまったということになる。
福田首相の個人的な動機は私には分からない。ここは、少し長い時間軸の中で、自民党政治が陥った最終的な隘路について考えてみたい。思えば、一五年前の細川連立政権の時代から日本政治の漂流は始まった。自民党は細川政権の時期を除き、様々な政党を連立に引き込みながら、再編の嵐の中で政権を持続した。自民党に批判的な私でさえ、日本の政治で政権を担えるのは自民党しかいないと思わされたことが何度もあった。しかし、地震を引き起こすプレートの歪みのように、政権にしがみつけばしがみつくほど、自民党という一見強固に見える岩盤に大きな歪みがたまっていたのである。この一五年間の、制度面での政治改革と政策面での構造改革が自民党のよって立つ岩盤を崩してきた。
小泉政権は未曾有の支持と安定を誇り、それ以前の自民党では考えられなかった政策転換を実現した。しかし、小泉こそ自民党の基盤の歪みを広げた張本人である。だからこそ、小泉退陣からわずか二年の間に、立て続けに二人の首相が倒れることとなったのである。
まず、党運営と政治手法の面からその変化を見ておこう。小選挙区制の導入、政党助成金制度の創設により、党内では議員と党指導部の間の力関係が変化した。自民党は、中選挙区制時代の連邦制国家から、中央集権国家に生まれ変わったと言ってよい。さらに、小選挙区で野党と政権をかけてぶつかるため、党首のイメージが格段に重要になった。議員は人気のあるリーダーを立て、常に世論の支持率を気にしなければならなくなった。また、内閣制度改革で、首相の権力が強まったことも、党と内閣の集権化を進めた。小泉元首相は、このような制度配置を最大限利用して、大きな権力を築いた。
政策面では、構造改革路線が自民党の支持基盤を掘り崩した。構造改革とは、政治による再分配機能を縮小したら世の中はどうなるかという壮大な社会実験であった。その結果、貧困の増加、地方経済の疲弊など多くの問題が出現し、かつての自民党支持者の間にも、自民党に対する怨嗟が広がっている。
結局、小泉という投機的リーダーは、自民党にとって覚醒剤のようなものであった。一時的に元気になった錯覚を得るが、体そのものは蝕まれていく。総理総裁に小泉と同じような芸当を求められても、それをこなせる政治家は滅多にいないので、自民党はたちまち人材難に陥る。トップに立つ政治家が貧弱な芸しかできなければ、たちまち党全体のイメージも低下する。政策面で、景気対策を求める声が出てくるが、小泉改革のおかげで議員になった連中が多いので、改革路線を明確に転換するまでには党内は一致できない。このような大きな矛盾の中で、ポスト小泉の二人の首相は途中で職責を放棄したわけである。
小泉の遺産である衆議院の圧倒的多数と、安倍の負の遺産である参議院の逆転状況の組み合わせも、福田政権の寿命を縮めた。衆議院で与党が三分の二を持っていなければ、法案を成立させるために参議院の野党の協力が不可欠であり、ねじれ状態の解消に向けた新しい仕組み作りに与野党ともに取り組んだであろう。しかし、幸か不幸か、衆議院での絶対多数のおかげで、参議院の野党は心おきなく法案を否決できる。法案不成立の責任をすべて政府与党に押しつけることができた。福田首相自身が記者会見で述べたように、国会運営に疲れたことが政権投げ出しの一因であろう。
誰が次の首相を引き継ぐにしても、自民党の陥った深い矛盾を打開することは困難であろう。まず、何よりも自民党内での政権のたらい回しは限界である。次の首相の最大の任務は、政策を作ることではなく、速やかに衆議院を解散して、国民の意思によって政治の混迷を打開することに尽きる。自民党内では、賑やかな総裁選挙を行い、国民の耳目を引きつけ、次期首相の支持率を引き上げたいという思惑もあるようだ。しかし、これほど盗人猛々しい話はない。自分の党の大将が無様に職責を投げ出し、国政の停滞を作りだしているのだから、本来ならば自民党全体が謹慎蟄居するべき所である。そもそも福田政権は、国民からの信託を欠いた、正統性のない政権であった。次の政権は、その福田政権よりもさらに国民との距離が遠い、正統性のないものになる。この状況はやはり選挙で決着するしかない。
この臨時国会では、与野党ともに次の選挙に向けた政権構想を明らかにし、争点を明確にしてほしい。民主党は小沢一郎代表の下で、従来の路線を突き進むしかない。問題は自民党である。福田首相は結局経済対策の方向について自らの考えを明らかにしないまま退場した。総裁選挙では、次の総理・総裁を目指す政治家は、構造改革路線の継承なのか、経済対策優先なのか、はっきりと自分の考えを打ち出すべきである。
それができれば、次の総選挙では明確な政策路線を掲げる二大政党が政権をめぐって争うという展開になる。そして、日本の政党政治は、自民党一党優位体制を脱し、新しい段階にはいることになる。福田政権という政治空白の一年は、新しい政治体制を立ち上げるための過渡期として見れば、無意味ではなかったということかも知れない。
|