「とてつもない日本」と大見えを切りながら、早くも選挙用の場当たり主義が指摘される麻生新政権。政治へのあきらめムードが漂うが、政治学ではいま、思想・理論研究で新しい潮流が生まれている。格差と貧困問題を背景にした社会的連帯論や、民主主義再考の試みは、理念復権への期待に、応答することができるか。(藤生京子)
狭義の「政治」より「社会」
「いま進んでいるのは、格差というより『分断』。政治学も、社会統合のあり方を考え直す時期にきていると思う。」この夏、『政治と複数性』(岩波書店)を出した早稲田大教授の斎藤純一さん(50)は言う。
差異が肯定されたポストモダン思想の流行した80年代、社会統合の理念はナショナリズムや全体主義などの排除につながるとして、その「過剰」が指摘されていた。だが福祉国家が後退して新自由主義的政策が強まり、ワーキングプアの問題が関心を集める状況を見るにつけ、社会保障を基盤にした連帯のための理論が必要と考える。「不自由な平等か、自由な平等か、自由な不平等か、でなく、『自由のための平等』が問われている」
問題意識に変化
はりめぐらされる「統治のテクノロジー」を批判的に論じた『フーコーの穴』(木鐸社)で注目された明治大准教授の重田園江さん(40)も最近は米国の哲学者ロールズらを援用した「連帯の哲学」を主張する。
「政治学は、『社会的なもの』、日常性や市民生活を締め出して成立してきたところがある。でも、日常における人々の政治や権力のあり方への反発や不満を拾い上げる事が大切。既存の制度や議会民主制に乗らない政治の動きを、新しい政治の言葉だと示す必要があると思う。
6月に出た日本政治学会の年報のタイトルも、「国家と社会 統合と連帯の政治学」。東大准教授の宇野重規さん(41)は、若手研究者らの問題意識がここ数年、変わりつつあると感じている。「公共性を言いながら、目の前の貧困に立ち向かえない政治学者、といういら立ちがある」。新しい連帯は、多元的な価値を認めあう「個であるための基盤」として構想されている。
結論より思考過程
民主主義の論議も盛んになっている。名大准教授の田村哲樹さん(38)は今年出した『熟議の理由』(勁草書房)で、熟議民主主義を論じる。
田村さんの関心も狭義の「政治」より「社会」だ。隣人との分断さえ意識せざるをえない、不確実で、社会的基盤の解体した時代。たとえば理由なく人を殺せる「脱社会的存在」の人々が、民主主義にかかわれるかどうか。
「結論に力点をおく昔の研究者と違い、ああでもないこうでもないと問題の複雑さを示す。思考過程が私たちの時代の理論研究の意義と思います」
今春、『変貌する民主主義』(ちくま新書)が話題を集めた東大教授、森政稔さん(49)によれば、公民権運動や学生運動が盛り上がった60年代以降、民主主義を支える自由、平等といった概念は「静かな革命」と呼べるほど変わった。ポピュリズム一つとっても、いまは単に支持者の利益におもねるばかりでなく、シニカルな破壊の快感や道徳主義的要素を逆にはらみ、一筋縄でいかない。
「といって、現実が堕落して理想から遠ざかったわけではない。自分たちの手で、新しい民主主義思想を構成するしかないと思う」
講義数減少も
政治思想研究はかつて政治学の花形とされ、70年代初めまで丸山真男・東大教授らが論壇ジャーナリズムで発言し影響力を持った。しかし、その後は専門分化が強まり、80年代以降は米国流の実証主義、制度論研究が主流に。存在感の低下も指摘されるようになった。90年代、社会学者や心理学者が相次ぐ少年事件や震災などに関して発言し、勢いがあったのと対照的だ。近年、私大などでは講義数の減少もいわれる。
「現実政治や社会の底流の動きを、研究者は敏感にすくい取れていない」と、明治学院大教授の原武史さん(46)は話す。来月から学内で開く「政治思想の現在」と題した連続セミナーに作家の重松清、桐生夏生さんらを招くのも、社会を鋭く切り取る文学の問題意識こそが現代の「政治思想」だと考えるからだ。
現実政治とアカデミズムの架橋に積極的な法政大教授の杉田敦さん(49)は、「歴史的にみて、政治学が輝くのは戦争や内乱後の危機の時代」と言う。現実の混迷の中に「危機」を読みとれるか。研究からさらに目が離せなくなりそうだ。
(朝日新聞2008年9月30日朝刊)
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