中島岳志 大括りに左派というものを定義すると、人間の理性や努力によって平等社会を実現することは可能だと考え、それを実現していこうとする立場だと言えると思います。ただ、その平等社会を構築するための方法論として、国家をどうとらえるのかという点で差異があります。国家の再分配によって貧富の差を克服していこうとする立場としてはまず国家社会主義があったわけですが、それが崩れた後は、社会民主主義がその代表的立場となります。
これとは別に、国家以外の自立的な個人のほうから思考していく立場としてはアナーキズムがあり、柄谷さんがおっしゃっているようなアソシエーショニズム、あるいはリバタリアン社会主義・市民社会主義のような立場があります。この立場は、国家の権力を批判的に見る視点が強くなります。
そして日本において社会民主主義を代表しているのが山口二郎という人であり、アソシエーショニズムを代表しているのが柄谷行人という人であると、保守思想を重視する僕は考えています。
社民主義とアソシエーショニズム
山口二郎 社会民主主義というのは、別に深い思想に裏付けられたものではありません。政治権力が介入することによって分配の平等をある程度確保する、ぐらいが社民主義という考え方の最大公約数で、そんなに深い話ではもともとないんですよ。20世紀になってからは、それがまさに政治権力と結びついて、国家統治のパラダイムとして普及したので大きな意味があったと思いますが、思想的にはたいしたことはない。自分で言うのもなんですが。(笑い)
だから、政治権力の統治のパラダイムに引っ張り込まれて社会の根を失ったとたんに、社会民主主義はダメになっていきました。再分配とか平等とかいっても、肝心の社会の構成員が連帯の意識を持って、平等を実現するためにはある程度再分配をしなければと思ってくれないと、外枠としての国家が政策として保っていてもすぐに空洞化するわけです。そのわかりやすい例が、いまの国民年金の問題です。社会に根を張り、それを広げていこうという意識が希薄で、柄谷さんがおっしゃるアソシエーションあるいは中間団体の問題を見落としてきたことに、現在の社会民主主義の欠落があると感じます。
柄谷行人 現在の社会構成体は、資本主義市場経済とネーション、国家という三つの異質なものがハイフンでつながれたものだと考えたらいいと思います。資本主義市場経済は貧富の差を生みますが、ネーションはそのような不平等を許さないような共同体を目指します。そして国家は、課税によって得た富を再分配することで格差や諸問題を解決しようとする。このように資本主義市場、ネーション、ステートの三つがボロメオの環わ(どれか一つを取ると壊れてしまう環)のようなものとしてある。これは非常にうまくできていて、この環の中にいると、あらゆる議論がその中で回転してしまって出られない。どうすれば資本=ネーション=国家という環から出られるかを考えなければいけません。
さて先ほど中島さんは、僕がアソシエーショニズムの代表だと言われましたが、それについてはちょっと説明する必要があります。僕が考えているのは、資本=ネーション=国家を揚よう棄きするという理念です。この理念がありさえすれば、実際の立場や方法にこだわらないのです。
理念には二つの種類があります。カントの区別によれば、ひとつは統整的理念で、もうひとつは構成的理念です。統整的(レギュラティブ)理念とは、実現できないけれども非常に高い目標としてあって、絶えず現状に対する批判の源泉になるようなものです。一方、構成的理念は、みんなが通常、理念と呼んでいるものですね。社会を設計して、自分が構想するとおりに作り替えていくという考えです。構成的理念からはおのずと革命が導かれます。そして、そこから暴力的な強制が出てくる。これは右も左も関係ありません。
一方、統整的理念からは、理念に向かって少しずつ進む、漸進主義(グラジュアリズム)が出てくると思う。僕がいう、資本=ネーション=国家の揚棄とは、統整的理念です。だから、実際的には漸進主義的ですよ。僕は、現実的には、妥協の人ですよ(笑い)。したがって、社会民主主義と別に対立するわけでもないし、別にアソシエーショニズムでなければならないということもない。むしろ、アナーキズムに対しては批判的です。なぜなら、国家を直接に否定することで、結局、強い国家を呼びおこすことになるからです。僕は、国家やネーションを簡単に超えられると思っていない。
社会民主主義の出現は、イギリスのフェビアン協会が最初だと思いますが、次にそれを取り入れたのはドイツ社会民主党のベルンシュタインだと思います。革命を否定し、議会制民主主義の枠内での福祉の推進を唱え、これに反対するカウツキーとの間で「修正主義論争」が起きました。だけど僕は、ベルンシュタインは間違ってないと思うんですよ。彼は構成的理念としての社会主義を否定した。そして、漸進主義をとった。しかし、彼は徐々に統整的理念としての社会主義をも放棄するようになりました。その結果、ドイツの帝国主義を支持するにいたった。一般に、構成的理念としての社会主義につまずいた人々は、統整的理念としての社会主義をも否定する傾向がある。一切の理念は幻想だといって。1990年以後はそういう考え方が支配的となりました。だから、そういうことを考慮するのであれば、僕は社会民主主義でいいと思っているわけです。
もう一度、メタの議論を
中島 柄谷さんがおっしゃった統整的理念と構成的理念を思い切って言い換えると、「メタ」と「ベタ」ですね。メタレベルの抽象的な議論があるからこそ、ベタな現実を批判できる。しかしそういう批判のあり方自体が90年代以降崩れてきました。僕は左派が退潮した大きな要因は、このメタの議論を失ってしまったことにあると思います。これは保守も同じで、ベタな議論│中国や韓国に対する感情的批判│ばかりでメタレベルで保守を考えられる人がいなくなりました。私たちはもう一度、メタの議論を取り戻さなければいけないのではないでしょうか。
山口 メタとベタというのはいい表現だと思います。たとえば社会民主主義にとって最も核心的な平等という理念そのものについても、実はメタレベルの議論はなかったんですよ。ベタの平等、つまり事実上の利益配分政治や官僚統制によってある種の疑似的平等が達成され、その成果の上にあぐらをかいていたら、経済環境が変わり、悪平等批判や官僚批判の言説が出てきて、たちまちベタの平等は崩れ去っていった。それが90年代で、小泉政治というのはその仕上げでした。もしあのときにメタレベルの平等という理念がちゃんとあれば、あのような非常に単純な新自由主義というか平等に対する攻撃に、もっときちっと反撃できたはずだという思いがあります。
柄谷 70年代から80年代にかけてポストモダンの哲学の主題は、いわば、理性の批判、理念の批判でした。それは抽象的で難解な議論だったのですが、具体的には、ソ連などのマルクス主義への批判だったのです。それはいわば「構成的理念」の批判だった。しかし、そういう批判が意味をもったのは、まだソ連があったからですね。実際、新左翼はソ連や共産党を批判していれば、何かやっているような気になれた。しかし、91年のソ連崩壊以後は、そういうことはできなくなったのです。そして、新左翼の中から、一切の理念を嘲笑するシニシズムが出てきた。
僕が社会主義のことを積極的に考えるようになったのは、その時点からですね。みんなが社会主義を嘲笑し始めたときからです。僕は自分の批評のことを「トランスクリティーク」と言っていますが、「トランス」は、超越的(メタ)というよりも、横断的移動のことを指しています。その意味で、僕はいつも移動していると思います。もちろん、僕は一貫していると思う。一貫して移動しているからです。(笑い)
中島 政治の場にメタの議論をつなぎとめておくという意味で、衆議院に10議席程度は、非武装中立を掲げる政党があっていいと思います。同様に「一君万民」を掲げる思想右翼が議席を持っていてもいい。そうすれば、非常にラジカルに現実を批判できる空間が政治の場に創出されるはずです。「非現実的だ」という批判を受けるでしょうが、人間がメタのレベルで思考するということもまた、現実なのですから。
山口 政治の喪失というか、私の専門に引き寄せて言えば、政治の官僚制化という問題があると思います。90年代以降、政治変革を求める大きな原動力となったのは官僚批判でした。「日本は官僚支配の国だ」「官僚支配からの脱却が必要だ」と、右左を問わず多くの人が唱え、実際に制度も変えてきました。ところがこれだけ官僚批判をみんながやるようになったにもかかわらず、政治の世界では驚くほど官僚制化が進んでいます。柄谷さんの言葉を借りれば、統整的理念にかかわるものを政治の空間からどんどん排除し、自ら発想の幅を狭めている。「官僚はだめ」といいながら、みんなが官僚化してしまったわけです。
柄谷 官僚制というのは、国家だけでなく、企業でも採用されてきたシステムです。だから、民営化しても、官僚制がなくなるのではなく、企業の官僚制になるだけです。たとえば、国立大学は独立行政法人となりましたが、今のほうがもっと官僚制的です。国立時代は、大学には国家の方針や効率性とは関係ない、別のゆったりした時間が流れていました。それが無くなってしまった。
山口 確かに表面的にみれば、大学の独立法人化というのは文部科学省をトップとするヒエラルキーから大学を外して、「おまえら勝手にやっていいよ」という制度枠組みです。大学に限らず、行政の分野でも民間委託や市場化が進み、上下の指揮命令系統のようなものが崩れ、ヒエラルキー的なピラミッドモデルだったものが、一見フラットになっています。しかしそういう中で、ますますある種の集権化が進んでいる。評価書を書くとかリポートを書くとか、一定のフォーマットに沿ったシラバスを書くとか、非常に形式的な合理性があらゆる場面で要求されています。それは別に、民営化がよくないという単純な話ではありません。形式的合理性という発想であらゆる人間を動員し、非常に単純化された目標に向けてみんなを動かしていくという、そういう意味での官僚制化がはびこってしまっているのです。
政治の生命力の源は、もっと予測不能な、ある種属人的で偶発的なものだったはずなのに、それらを排除して、ものすごく狭い範囲に政治を収縮させていく動きが進んでいます。そういう意味ではマニフェスト運動というのもそうで、政党政治の世界に消費社会のモデルを持ち込んでしまったんですね。
中島 保守を掲げる人たちも同様に、ある種の設計主義的な合理化の発想に流れていきました。これは思想的には完全におかしいんです。なぜなら保守とは、人間の理性によって社会を進歩させることは不可能だという立場だからです。伝統や慣習、常識、共同性、といった人智を超えた所与のものに依拠するほうが、世の中の秩序は安定し、よりましな社会が漸進的に続いていくんだというのが保守思想本来の発想であるはずなのに、いまは保守を掲げる人たちが「構造改革」「抜本的改革」を訴えたりする。保守が空洞化していることこそ問題だと思います。
今また重要な社会主義
柄谷 モンテスキューは、絶対王制の時代に、貴族と教会という「中間勢力」が、王権の専制化を妨げていると考えました。中間団体がないと、国家による専制化が進むのです。それでいうと、丸山眞男は、日本が急速に近代化できた理由は、中間団体が弱かったからだといっています。たとえば明治4(1871)年、全国の学校が文部省の管轄下におかれましたが、これは実は世界でも珍しい。ヨーロッパでもアラブ諸国でも、それは簡単に実現されなかった。教会が教育を握っていたからです。教会がいわば中間団体として抵抗した。明治日本で、なぜ国家がすばやく教育を握ったかというと、江戸時代に宗教団体が完全に無力化されていたからですね。中間団体が弱いと、集権化がスムーズになされる。だから、日本では急激に産業が近代化したけれども、市民社会としては成熟していない。個人が弱い。中間団体がないと、個々人はアトム(原子)化して無力になるのです。
さきほど山口さんが、中間団体を考慮にいれなかったことが社会民主主義の欠落だったとおっしゃいました。それは民主主義を議会のレベルだけで考えるからだと思います。議会政治だけで考えると、民主主義は機能しないと思います。モンテスキューによれば、代表制(議会)というのは貴族制である。彼の考えでは、民主制はくじ引きにあるのです。たとえば、アテネの民主主義は議会よりも、あらゆる公職や権限をくじ引きによって決めることにこそ存在したわけです。あてがわれた代表者を選ぶような選挙ではない。誰かに特権を絶対に与えない、というのが民主制の核心だと思います。
それに比べて、代表制は、実際は貴族制です。もともとイギリスでは、議会は王権を制限するための貴族の闘争の場としてはじまった。そこに、だんだん一般大衆が入るようになり、普通選挙になったわけです。しかし、民衆が参加するのは、代表者を選ぶことだけです。議会は、官僚や政治家が立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込むように仕向ける、手の込んだ手続きにすぎない。もちろん、大統領選挙でも同じです。だから、民主主義のためには、選挙以外に民衆が参加する場が不可欠だと思います。デモもそうですし、さまざまなアソシエーションがそうです。議会以外の政治参加の場がないと、議会制そのものが空洞化すると思います。
山口 社会(society)、あるいは社会主義(socialism)という言葉をもう一回、吟味し直す必要があると思います。社会というのは、そもそもそんなに大きいものではなく、人間が見渡せる、実感できる範囲のことです。グレアム・ウォーラスという政治思想家が『The Great Society』という本を書いていますが、国民レベルの社会を表現するには、グレートという形容詞をつける必要があった。「イギリス国民」というような社会のつかみ方は、メディアの発達に伴って出てきた、まだ非常に新しい現象です。
個人がバラバラなままで公的なものにかかわっていくのは土台無理です。他人と議論をしないと考えも深まらないし、行動を起こすにしてもバラバラでは全く力にならない。そういう意味でも、社会という基本的な単位は重要です。
20世紀の民主政治は、いろんな部分社会や中間団体が政治参加の単位になって、コーポラティズムに近い形の政策決定システムをつくりました。そして利益集団民主主義とでも言いましょうか、組織や団体を単位とした再分配の仕組みもつくられました。確かにそれは、ある種の既得権かもしれませんが、再分配の仕組みがガチッとあった時代にはそれなりの平等も確保されたわけで、これはこれでひとつの20世紀的民主主義の形態だと思います。
労働組合や農業団体、建設業界や医師会といった中間団体に属すことによって、マスメディアの報道とは違う情報をとり、議論をする中で政治意識や態度を形成していく。組織や団体にはそういった政治的な集約機能があったわけです。それである種の再分配の仕組みをつくり、20世紀半ばには、20世紀的な意味での福祉国家の完成段階に入ります。 ところが世紀末になると、中間団体の批判や解体という議論が、政治改革の議論とつながって出てきます。小泉元首相は医師会や労働組合に「既得権集団」というレッテルを張り、組織や団体を単位とした政治参加の成果を否定し、個人をアトム化してしまった。そして組織されざる無党派層の利益を体現するという言説で、そのアトム化された個人を動員しました。アトム化された個人と指導者がじかにつながっている、これこそがデモクラシーなんだと。先ほどの柄谷さんの言葉を逆手にとれば、疑似的直接民主制、あるいは幻想としての直接民主制といったものが、新自由主義の時代にすごく力を持ってしまったわけです。
中島 代議制民主主義は、どうしても民主主義自体からの疎外を生みます。国会での決定に対して有権者が直接的な関与を実感できないため、デモクラシーでありながらみんなが投票に行かなくなるという状況が生まれる。そうしたときに政治学から出てきたのが、ラジカルデモクラシー論です。
簡単に説明すると、ひとつは政治とは具体的なパイを巡る闘争であると認識する「闘技デモクラシー」論です。シャンタル・ムフなどが代表者ですね。背景にはカール・シュミットが提示した「友/敵」という二分法の認識があります。もうひとつは、顔の見える範囲の社会の中で熟議を行い、合意形成をして、そこから国家レベルの政治に訴えかけていこうとする「熟議デモクラシー」論です。位相の違いはありますが、いずれも熟議をする中間団体があることこそがデモクラシーを鍛えるという議論です。これは社会関係が分厚いほど、豊かな社会が形成されるというソーシャルキャピタル論ともつながります。
山口 それは私の言葉で言えば、社会主義やソーシャリズムの復権です。80年代にイギリスで世界初の新自由主義的改革が行われたとき、サッチャーはすでに「There is no such thing as society」、つまり社会なんていうものはないという有名な演説をしています。彼女にとってあるのは市場と政府、そして個人だけです。社会を否定することによって、資本主義が純粋に動いていく。国家は小さいけれども、暴力的という意味で非常に強い力をもつ。だからこそわれわれは、それに対抗して社会の擁護というか、ソーシャリズムというものを改めてちゃんと考えなければいけないと思います。
熟議型の民主主義と闘争的な民主主義は別に矛盾しない。両方必要です。小さな社会の中では、熟議型民主主義で市民的成熟を図っていくことが必要だけれども、グレートソサエティーにおいては、「われわれ」と「彼ら」の対立軸は何なのかという議論をきちんとやっていかないと、市民の側がすごく無力になってしまいます。
柄谷 僕は資本=ネーション=国家といいましたが、これがうまく機能していたのは、90年までですね。つまり、福祉国家の時代です。それ以後は、国家と資本が強くなって、ネーションが弱まっているのです。いいかえれば、国民の生活が平等でなければいけない、という考えが弱まっている。国家と資本のグローバルな競争が第一で、階級格差などどうでもよい。福祉など切り捨ててもよい。企業も年功序列を否定して、リストラする。それが新自由主義と呼ばれているものです。
よく現代の動向を30年代、あるいはファシズムと比べる人がいますが、僕は違うと思います。むしろ、それよりさらに50年前、つまり1880年代に顕著になった帝国主義と比べたほうがいい。ファシズムは、ネーションの要素が強い、したがって、社会主義的な要素をふくんでいます。しかし、帝国主義は、ネーションを犠牲にした、資本と国家の海外進出であって、その支配的なイデオロギーは、日本でも明治20〜30年代に流行した、社会的ダーウィニズムです。近年では、勝ち組と負け組という言い方をしていますが、それはまさに社会的ダーウィニズムの考え方です。だから、新自由主義とは、自由主義とは異なる、帝国主義だというべきです。
かつて社会主義は、そういう帝国主義の時代に出てきた。明治日本においてもそうです。ロシア革命以後、社会主義というとソ連のようなものだというふうになってしまったけれども、それ以前は違います。多様な社会主義があった。たとえば、新自由主義の始祖といわれているハイエクも社会主義者だし、カール・ポパーも社会主義者です。ポランニーだって、社会主義者です。彼らはソ連型の社会主義、設計主義的な社会主義、つまり、構成的理念に反対したけれども、彼らはそれぞれ社会主義者であって、新自由主義(帝国主義)とはまったく違う。だから、山口さんが言われているような意味での社会主義というのは昔からあるし、いままた重要だと思います。
中島 では、国家が果たすべき役割というのをどう考えるのか。教育、医療、福祉もそうだと思いますが、ナショナルミニマムあるいは再分配を、社会主義というところからどう考えるかという問題が、次に浮上します。
山口 たとえば環境問題を解決するために何かルールをつくろうと思えば、それは権力に裏打ちされたものでないと意味がない。貧困をなくそうと思えば、課税と再分配を行う権力が必要です。そういう意味では国家の必要性というのは当然ある。いつの時代もあるし、いま特にあると思います。
憲法9条という統整的理念
柄谷 僕は91年の湾岸戦争のときに、憲法9条について初めて積極的に考えるようになりました。それまでは無関心でしたね。それは日本の参戦ということが初めて出てきたからですが、また、カントについて考えるようになったからでもあります。僕が気づいたのは、憲法9条には、カントの思想が生きているということです。
カントは1795年に国際連邦を構想しました。よく世界連邦は設計主義だと言われますが、カントの考えでは、世界連邦は、統整的理念としての「世界共和国」に近づくための第一歩にすぎないのです。彼の考えは、まずヘーゲルによって嘲笑されました。実際に強国が存在しないと、国際連邦など機能しない、と。イラク戦争の際、アメリカのイデオローグは、カント的理想主義を古いと嘲笑しましたけど、彼らは古いヘーゲルのまねをしていることに気づかなかったのです。しかし、カントの理念は滅びなかった。強国らがヘゲモニーを争った第一次大戦の廃墟の上に、国際連盟ができたのです。さらに、第二次大戦後に、国連ができた。日本の憲法9条もその一環です。これを否定しても、結局は、カントの理念が徐々に実現されるだろうと、僕は思いますね。
中島 ただ、極端に設計主義的に世界連邦をつくろうとすると、たとえば北一輝や、世界をひとつにするための世界最終戦争論を唱えた石原莞爾のようになってしまう危険性もあります。だから僕は漸進的に世界の諸関係が生まれ、変容していくことが大切だし、その際にはメタレベルからの批評が可能な空間が必要だと思っています。
柄谷 石原莞爾は、日本がヘゲモニーを握って世界連邦を設計するという考えが破産したあと、その反省から、戦後は、戦争の放棄を言ったのでしょう。
中島 大東亜共栄圏によって世界を八はっこう紘一いち宇うの下に統一できるんだと考えていた人たちはその限界にぶつかり、戦後は9条を擁護したりします。それが一時期とはいえ戦後のリアルだったわけですが、そのことすら今は忘れられています。
柄谷 僕は別に国益ということから発想しているわけじゃありませんが、憲法9条を掲げていくのは、国益にかなうと思います。憲法9条でやっている限り、将来的にまちがいはない。たとえば、日本は国連の常任理事国に、憲法9条を掲げて立候補すればいいんですよ。それなら、圧倒的に支持が集まると思います。
中島 僕は保守に向かって「今は間違いなく、9条を保守すべきだ」と言っています。なぜならいま9条を変えると、日本の主権を失うことに近づくからです。これだけ強力な日米安保体制の下で、アメリカの要求を拒否できるような主権の論理は、今や9条しかないと言ってもいい。アメリカへの全面的な追従を余儀なくされる9条改正は、保守本来の道から最も逸れると思います。
山口 9条を巡る議論は、先ほど話が出た政治の官僚化の、いちばん極端な現象なんでしょうね。100年、200年というスパンで見れば、軍事力が有効性を失っていることは明らかですから、思想的な文書としては9条は絶対に正しいし、歴史の方向はこちらに向かっているんだという自信を持てばいい。ただ、日本の政治の議論としては、現実的な安全保障政策を言わないと信用されないという変な磁場というか、呪縛みたいなものがあるわけです。しかし、9条を守れと言っている政党が政権を取ったからといって、即自衛隊解体、即安保解消なんてできないことはわかっている。内田樹さんじゃありませんが、そこは矛盾があってもいいんです。進むべき趨勢として9条を認識するかどうかだと思います。
柄谷 たとえば、憲法前文に、日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてある。つまり、憲法9条は、国連あるいはそれ以上の国際機関の存在を前提としている。日本単独の平和宣言じゃない。そのような国際的体制を日本国憲法自体が要請しているわけです。だから、憲法9条は統整的理念ですね。「現実に合わない」と言われたら、それは初めから現実に合わないですよ。
政治の言葉、文学の言葉
中島「論座」が今世紀に入って唯一、論壇的に大きな意味を持った、「赤木問題」というのがあります。
山口 唯一じゃないでしょう。(笑い)
中島 広範囲に影響を及ぼす論争を提起するのが論壇のひとつの役割であるとするならば、非常に大きな波紋を広げたのが、赤木智弘さんが書いた「『丸山眞男』をひっぱたきたい│31歳、フリーター。希望は、戦争。」という論考です(07年1月号)。みんなが底上げをされて上位層にキャッチアップするというかたちでの平等は、どうも実現しそうにない。ならば自分は戦争によって秩序が崩れ、負の平等が成立することを望む。そのほうがよほど現実的だという議論です。
さらに彼は、「戦争が起きると承認が得られる」と言います。老いた親が病気などで働けなくなってしまえば、フリーターである自分は経済基盤を失うから首をつるしかなくなる。「自己責任」「負け犬」というレッテルを張られて死ぬことになる。しかし、「お国の為に」戦えば、運悪く死んだとしても靖国神社なり慰霊所なりに祭られ、英霊として尊敬される。同じ「死」という結果であっても、経済弱者として惨めに死ぬよりも、お国の為に戦って死ぬほうが自尊心を満足させてくれる。だから自分は戦争を望むのだという問題提起です。
ここで問われているのは、じつは単なる労働問題ではない。労働問題が多少解決したところで、ある種の存在論的な不安や、承認│疎外の問題は解消されません。後でお話ししたいと思いますが、これは秋葉原での無差別殺傷事件にもつながると思います。では私たちは、彼にどんな言葉をかけることができるのか。柄谷さん、いかがでしょうか。
柄谷 今おっしゃられたような議論は、昔だったらかなりありふれたものですね。大江健三郎の右翼テロリストを描いた『セヴンティーン』だってそうです。あれは右翼に攻撃されて絶版にされていますが、文学というのはそういうことを表現する場所でした。今それはない。みな文学を知らないし、今の小説家もそういうことに反応できなくなっている、ということをあらためて思いました。
中島 赤木さんの問題提起に対して、みんな政治的な返答をしています。文学が返す言葉を、僕はまだ見ていません。政治的には、連帯すればいいとか闘えばいいとか言えますが、彼にはそんな言葉は届かない。文学から言葉が出てこないというのは、何なのでしょうか。
山口 私に言わせれば、戦後の社会科学系、政治学系の思想そのものが総中流社会のなかに完全に埋没したというかあぐらをかいちゃっていて、世の中の矛盾というものが全然見えてなかった。その盲点を突かれたということに尽きると思います。「論座」に掲載された上の世代からの応答なんて全く読むに値しない、ピント外れな反応ばかりです。このような寄る辺ない、希望のない若者をつくりだしたことに対する自分たちの責任という意識が皆無だったのが驚きでした。
「闘えばいい」なんて全くナンセンスな反応もありましたが、アトム化された個人ではどうしようもないんですよ。それに手を差し伸べて、ある種取り込むというか、あるいは居場所なり拠点なりを与えるのが、先ほど言っているような中間団体です。高度成長期の頃までは、たとえば創価学会のようなところがアイデンティティーの面でもセーフティーネットの役割を果たしてきた。しかし80年代後半から90年代以降は、セーフティーネットとしての中間団体がなくなってしまった。そのことに対してすごく無防備でしたよね。それは政治学の怠慢だと思います。
だから、現代の日本でここまで貧困問題が起こっている、あるいは実存的な危機状況にさらされているという問題提起を若い世代がしてくれたんだったら、それをきちっと受け止めなきゃいけない。落ちぶれたりといえどもある程度力を持っている中間団体が、少し外縁を広げるというか、メンバーシップの壁を崩していけばいいんです。たとえば部落解放同盟が人権擁護全般に関する「よろずカウンセリング」を引き受けるとか、労働組合が不利な状況で働いている人間を支えるとか。少し枠を広げるだけである種のセーフティーネットにはなれるでしょう。
もちろん、政策で救っていくことは必要ですし、私も声を大にして言いますよ。最低賃金を上げろとか、雇用対策をちゃんとやれとか。しかし現に存在している個人に対して、居場所を提供したり、生きる意味を見いだす手助けをしたりできるのは、生身の個人あるいは小さな集団です。そこが動かなかったら、これは駄目だね。どうしようもありません。
秋葉原事件は「承認」の問題
中島 秋葉原の事件も、多くの人が関心を持っていると思うので触れておきたいのですが、これもやはり承認と疎外の問題だったと僕は思います。いま、労働条件の問題としてこの事件が理解され、改善が図られようとしていますが、それだけでは解決できません。
象徴的なのは、彼は凶器として使ったダガーナイフを、わざわざ福井県に買いに行っていることです。そして店員さんが親切にしてくれたことに、彼は非常に心を動かされている。彼は3回、店に出入りしてるんです。ナイフを買っていったん外に出たのに、戻ってきてまた手袋を買って笑顔でしゃべって出て行って、また戻って来て「タクシーはどこで乗ればいいんですか」と聞いている。そして「人間と話すのっていいね」って携帯電話のサイトに書き込みをしているんですよね。やはり、何らかの関係性を求めていて、それが果たせずに彼は事件を起こしたのではないでしょうか。
労働の問題は「引き金」要因であって、「弾」は極めて強い存在論的不安にある。引き金はいろんなところで引かれるのだから、私たちはいま、弾を見つめないといけません。そのときに立ち上がってくるのが、文学の問題であり、アソシエーションの問題です。僕はこの事件が起きた時、瞬間的に「柄谷行人はどう言うだろう」と思いました。文学批評とアソシエーションの結節点にいる柄谷行人は、どう言うだろうかと。
柄谷 いろんなところからコメントを頼まれましたが、全部断ったんですよ(笑い)。いま中島さんから、何べんも戻って来て「人間と話すのっていいね」とサイトに書き込んだというのを聞いて、ふと、エドワード・オールビーという劇作家の『動物園物語』という短い劇を思い出しました。人とつながることができるなら、殺される形でもいいというような、極限的な疎外の状況が描かれている作品です。昔は、そういうことが文学となり得た。いまは現実にそういう事件が起こっても、なぜかもう文学にはならないんだな、と思いました。
中島 容疑者についてはどうですか。
柄谷 それもデジャ・ヴュ(既視感)というか、僕は文学でいっぱいそういうのを見てきました。しかるに、今、文学のほうでそういうことを言う力がもうない、また、人も文学を読まない、ということにむしろ呆然としています。
中島 かつては保守も、文学の意義をしっかり捉えていたと思うんですね。たとえば福田恆存の「一匹と九十九匹と」というエッセーは、簡単に言うと迷える99匹は政治が救うべきで、それは再分配などいろんな方法によって救える。しかし、そこからこぼれる1匹が存在する。それを救うのは文学しかない。そしてその1匹に、他の99匹もなり得る。だから、文学は重要であり、政治は重要なんだ。その位相の違いを見極めろというものです。
おそらく小林秀雄も、福田と非常に近いことを考えていた。だから彼は戦後、政治を拒絶するような態度をとるところがあったのだと思います。そういう文学のリアリティーみたいなものが、実は戦後保守を支える中心にあったはずなのに、今は希薄化しているというんでしょうか。ナイフの規制をしろとか、監視カメラを付けろとか、どんどんそういう方向の議論に流されています。
山口 私は、ぜんぜん文学はわからない人間なので(笑い)、違うレベルから感想を言わせてもらうと、こういう希望のない社会、あるいは生きる意味を見いだせない社会をつくっちゃったということがまさに、保守政治の崩壊なんですよ。いまから7年ぐらい前、北海道の人口3千人ぐらいの小さな田舎町の商工会に呼ばれて講演したことがあります。終わった後、酒を飲みながら土建屋のおじさんとしゃべっていたら「先生、公共事業の批判をするのもわかるけど、あまりやりすぎると私たちは日本の治安に責任もてませんよ」って言われました。
組織に帰属して、給料をもらって家族を養ってという枠の中で生きていたら、人間はたぶん、そんなに変なことはしない。ボーナスもらったら車を買い替えようとか、彼女と今度一緒にどこか行こうとか、それはそれなりに、個人の幸せを見つける。それを支えてきたのが戦後日本の政治だったと思います。もちろん無駄や腐敗もあるけど、秩序維持という点では、これほど安上がりなものはなかったとも言えます。私は規制緩和や構造改革路線が、秋葉原事件を生んだとまでは言いませんが、原因をつくったことは確かだと思います。
柄谷 日本で共同体というと村や町のことが考えられますが、共同体はいろんな次元にあります。永久雇用で年功序列の企業などは共同体です。そういう共同体は2000年ごろから急激に無くなりつつある。困っているのは若い人だけではない。あちこちで悲鳴があがっていると思います。以前は、なんだかんだ言っても、共同体に対する反発が出るくらいに共同体があった。その中で、文学は「反共同体」で「単独者的」であるような場でした。しかし、共同体が無くなってしまった状態では、そういう文学はもう通用しない。
山口 政治学のほうでも似たような構図があります。近代主義というのは、所与なり自然を拒絶して、作為で社会関係を構築していくという、丸山眞男以来のモデルがあります。土着的なものや共同体は息苦しい。そこから解放されて自由になるんだという発想で政治的にも近代化を求めていた。人間が個人として自立して権利の主体になって……ということをずっと追いかけてきたわけですが、どこかで足元を掬すくわれてしまいました。
作為によっていろんな関係を構築し直せばいいんだと、共同体をどんどん解体する。高度成長期以降は、地方交付税と公共事業で人為的に共同体を支えてきたという側面があるわけですが、それをどんどん減らしていく。それを改革だと、みんな勘違いしていたわけです。
その結果出てきたのは、本当にアトム化された個人であって、政治学における近代主義者が考えたような、自立した権利の主体でも何でもない。本当に不安定で方向性のないアトムで、カリスマ的なリーダーが出てきてテレビで煽ると、砂鉄が磁石にくっつくようにワーッと動いていく。そういう政治の動きが90年代以降始まりました。私自身も、個人主義というか、個人を基盤とした民主政治というモデルをずっと追いかけてきましたから、この数年間、自分がやってきたことはいったい何だったのかという壁にぶつかった感じがありましたね。
逆にいうと私も、中島さんの影響なのか、保守化した部分がかなりあるんです(笑い)。政治参加の単位としてコミュニティーや社会がないと、これは危なっかしいなということはすごく感じています。いまさら伝統回帰ということは言いたくありませんが、たとえば北海道で親の家業を継いだり、自分の生まれ故郷を守ったりしていこうと悪戦苦闘している人たちを間近に見ると、所与性とか自然というものを無視するのはやっぱりおかしいと思います。
中島 僕は世代的に近いこともあって、いまのプレカリアート運動には希望があると思っています。なぜなら、運動の中から新しいジモト主義というか、具体的な空間とのかかわりみたいなものが非常に強く生まれてきているし、国家に生存権の保障を要求しながら、横の連帯というのを広く持ち、多様な人がそこに入ってこられるようになっているからです。それほどセクト化していないんですね。
東京・高円寺の「素人の乱」にも強く共感します。昔ながらの商店街の一角で、若者たちがリサイクルショップや古着屋をやっている。そこに近所のおじちゃんやおばちゃんが寄ってきて、話をして帰っていく。違う世代とコミュニケーションを持ちながら新しいものを構築しようとしているところは素晴らしいと思います。
オリンピックより阪神タイガース
中島 最後に、ナショナリズムについて話をしたいと思います。僕はメタのレベルでは普遍宗教を考えたいので、ナショナリズムを超えた普遍的真理を追求したいのですが、一方で、ベタなレベルにおいては、当面ナショナリズムはなくならないというリアリティーがあります。であれば、ナショナリズムはどういう点において意味があるのかを考えざるを得ません。
フランス革命を見ればわかるように、ある同一領域に住んでいる人間は平等な主権者であるという主張として、ナショナリズムは存在してきました。主権と平等。これは非常に重要なポイントだと思います。『想像の共同体』のアンダーソンも、「ネーションは主権的なものとして想像される」と論じています。
そして近年出てきたのが、リベラル・ナショナリズム論です。簡単に言うと、同じ国に住む他者への想像力を持てということですね。ある領域の内部に弱者がいるのであれば、幻想でも何でもいいから、信用や共同性を持ったほうが再分配に対する積極的な参加が可能になる。ナショナリズムは、デモクラシーやリベラリズムを一国という領域において支えるときには重要なんだという議論です。ハーバーマスの「憲法パトリオティズム」という議論も同様の発想ですね。
僕は「方法としてのナショナリズム」と言っているんですが、ナショナリズムは政治的手段として極めて重要な意味がある。一方で、ナショナリズムには、極めて強い弊害、内に対する同化圧力と外に対する敵対心の高揚といった問題があります。そのバランスを見ながら、ナショナリズムを方法としてどう飼いならすかということが政治学として重要だと思いますが、いかがでしょうか。
山口 自省的ナショナリズム、あるいは再帰的ナショナリズムという問題ですね。私は、社会民主主義はあと100年ぐらいは一国単位でしか動かないと思うんです。グローバル社会民主主義、先進国から途上国に大きな再分配ってそんな簡単なものじゃありません。まずはそれぞれの国の中で貧困をなくしていく、あるいはミニマムを保障していくという社会民主主義を実践しないと、外には目が向かないと思っています。そういう意味では私も、ポストコロニアルのような議論はあまり好きではなく、やはり国民国家という単位のなかで当面、政治を闘っていくしかないと思います。
先日、元文部科学省の寺脇研さんと初めて酒を飲んだのですが、寺脇さんが「俺、日教組の委員長になりたいんだ」と言うから、「ああ、おもしろいね」って。「みんなで左翼の愛国心教育でもやろうか」という話をしました(笑い)。愛国心という言葉は特定の色がついた言葉なので使えませんが、能動的市民をつくる公民教育というか、自らが帰属する政治共同体に対する自発的な参加意識というか、そういう政治的ナショナリズムというものを下からつくっていかないと、対抗政治のエネルギーにはなかなかつながっていかないんじゃないかと思っています。
柄谷 社会構成体というものは、冒頭に言ったように、資本・ネーション・国家をハイフンでつないだようなものです。それぞれ異質ですが、分離できるものではないのです。たとえば、国民(ネーション)は国家なしには存在しない。だから、この三つは相互補完的です。
資本=ネーション=国家がうまく機能していた状態が福祉国家です。ところが、現在は、新自由主義的ですから、ネーションが犠牲にされている。しかし、必然36的に、ネーションは復活してくると思います。利用するもくそもない。その場合、現状のままで、ネーションが戻ってくるとファシズムになります。
だから、それがどういうものかを知らないで、ネーションを使おうなどというのは、危険だし、傲慢じゃないでしょうか。資本主義がどういうものか、ネーションがどういうものか、国家がどういうものかを認識する必要があります。その上で、はじめて対抗できると思うのです。
中島 僕は、アイデンティティーの根拠となるのは、パトリ(故郷、郷土)であってネーションではないと思います。これは橋川文三の議論ですが、人間の本源的なものとつながるパトリと政治的概念であるネーションの役割の違いをしっかりと認識しなければならない。私はパトリとほぼ同義の言葉として「根拠地」という用語をずっと使っています。
柄谷 それを平たくいえば、オリンピックより阪神タイガース(笑い)。僕の場合はそうですね。
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