世界的な金融危機の中、日本の株価も暴落し、麻生太郎首相は解散総選挙を先送りする決断を下した。麻生首相誕生後も、内閣支持率の上昇は見られず、自民党総裁として勝てる見込みのない選挙に突っ込みたくないという判断も、仕方ないものであろう。しかし、麻生政権が来年度予算の編成を行い、困難な政策課題に取り組むだけの政治的な力を持っているのかどうかも不明である。国民の負託を受けていない政権に、野党を説得し、政策を推進することができるのだろうか。
アメリカでは十一月の第一火曜日に大統領選挙を行うという決まりになっているので、政治家の思惑とは関係なしに選挙が行われる。そして、世論調査によれば、現時点では民主党のオバマ候補が共和党のマケイン候補に大差を付けている情勢である。アメリカでは今年一月の予備選挙開始以来、延々と選挙戦が展開されてきた。これは大変なコストを伴うが、同時に一年近い時間をかけ、全国をまたにかけて選挙戦を行うことで、候補者が鍛えられ、争点が明確になってきた。内政外交両面にわたるブッシュ政権の行き詰まりを打開することは、次期大統領にとって容易な課題ではない。しかし、国民に政策を訴え、国民から支持を受けたという正統性こそ、強力な政権運営の最大の原動力となる。まさに選挙こそ、民主政治のエネルギー源である。オバマ大統領が誕生すれば、格差貧困問題への対応がより強力に進められるに違いない。
日本でも当面の経済対策は急務である。しかし、目先の景気だけが大変な問題なのではない。この一年ほどの間、社会の基盤がほころびていることを示す事件が相次いだ。将来に希望を持てない若者が死刑になりたいといって無差別に殺人を犯す。大学進学の夢を断たれた若者が駅のホームから人を突き落とす。障害を抱えた子どもの将来を悲観した母親がその子を殺す。家を失った人々の泊まり場所となっていた個室ビデオ店が放火され、大勢の人が亡くなる。妊婦が救急病院をたらい回しにされ、亡くなる。こうした事件は、政策的なサポートさえしっかりしていれば、予防できた、あるいは犠牲者を少なくできたものである。政治に関するあらゆる議論は、これらの死ななくてもよかった人の命を奪ってしまったこと、犯罪者にならなくてもすんだはずの人々を犯罪者に追い込んでしまったことを反省し、わびることから始まるべきである。
政局よりも政策という麻生首相の判断は、一つの政治決断である。では、首相は現下の政策課題をどこまで真剣に考えているのだろうか。政策の不備ゆえにみすみす命を失った人々に対して、どれだけの心の痛みを感じているのだろうか。十月二十六日、首相は東京・秋葉原で就任以来最初の街頭演説を行った。秋葉原を、オタク文化のメッカと見るのか、連続殺人事件の発生現場であり、社会の歪みの象徴と見るのかで、政治家の基本的なものの見方が問われる。残念ながら、首相は若者文化に理解のあるところを示すことに一生懸命で、社会の歪みに対する感性は持ち合わせていないようである。
百年に一度の大きな社会経済危機に立ち向かう政治指導者に必要な資質とは何か。それは、愛想の良さでもなく、若者にとっての話せるオヤジであることでもない。問題を正面から見据え、国民の悩みや痛みを引き受けるまじめさこそが、政治家に求められている。
来年度予算の編成においては、年金に対する国庫負担増額のための財源措置、道路特定財源の一般財源化など、難問が目白押しである。その上に、景気対策や医療再建などの政策課題が重なっている。今ほど、政治家の理念が問われる時はない。過去六、七年の間、改革という名目で社会の基盤を破壊してきたことをどう総括するのか。その上で、これからの日本社会をどう立て直すのか。各党の政治家がまじめな議論を十分戦わせた上で総選挙になるなら、選挙が遅くなってもかまわない。
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