モデルチェンジできなかった自民
山口 自民党新総裁に麻生さんが選ばれましたが、安倍さん福田さんと続けて一年足らずで政権を投げ出してしまうというのは尋常ならざる事態で、自民党の統治能力は危機的状況にあると評価せざるをえません。なぜこんなことになったのか? やはり小泉―竹中路線の遂行によって、自民党は本丸から壊されたのだと思います。
竹中さんが司令塔になって、郵政民営化に象徴される構造改革を断行した。当然それは支持基盤の再編成を伴うもので、何よりも政治家の頭の中を入れ替える作業が必要でした。その方向に党全体がモデルチェンジできていれば、それはそれで生きる道だったはずです。ところが、簡単には変われなかった。多くの自民党議員は「人気にあやかろう」という程度の認識だったのに、小泉さんが予想外に力を持って本気で規制緩和をやり出した結果、自らの地盤がどんどん掘り崩されていくわけです。そのことに対する危機感、反発が噴き出して、党が股裂き¥態に陥ってしまった――というのが僕の現状認識です。
竹中 認識はほぼ同じです。ただ、小泉さんが登場する前に、自民党はすでに崩壊のプロセスをたどっていました。失われた一〇年≠止められなかった自民党は、もはや統治能力を失い、まさに崩れ落ちようとした。その時に小泉さんが登場して改革の旗を振り、当面の危機から救ったのです。
ところが、安倍さんが総理になったころから、党内に「揉め事をつくるな」という空気が生まれ、安倍さんはそうした意見を受け入れた。郵政造反組の復党まで許しました。小泉時代に芽を出した生まれ変わるチャンスを、みすみす摘んでしまった。
山口 この間の経緯で、自民党内で小泉さんと志を同じだった人は少数派だったことが明らかになりました。
竹中 内情を暴露すれば、不良債権処理や郵政民営化に本気だったのは、小泉さんと私と、あとは一握りの人たちでした。今回の総裁選を見ていると、改革派がますます肩身の狭い状況に追い込まれているのを実感します。
対立軸は生まれたか
山口 私は十数年来欧州の中道左派政党をウォッチしてきて、日本でもああいうスタンスの政党ができて政権を争うようになるのがベストだと確信しています。
従来の自民党は、財界の言うことも聞き一方で国民各層への再配分にも気を配るという、ヌエのような存在だったからこそ長期政権たりえ、結果として政権交代を阻んできた。しかし小泉さんは明確に「小さな政府を目指す」という軸を立てた。おかげで、私が標榜する再配分重視の「中道左派」という対立軸を立てやすくなった。
ところが今度麻生さんが出てきて、どうやら「小さな政府」はますます軌道修正されて、民主党が今掲げている方向と大した違いがなくなりそうです。歯車が戻ってしまうのは、個人的には非常におもしろくない。
竹中 民主主義がどういう対立軸のもとに機能すべきかという点については、たぶん山口先生と私の間に大きな差はないと思います。ただ現状認識においては、差があるのかなと。
私はできるだけ小さな政府にして、任せるべき部分は民間、市場に解放すべしという立場で、具体的な方策も「骨太の方針」などで提示しました。もちろん批判は覚悟の上だったし、あえて「対抗するビジョンを示してください」とアピールもした。しかし、対立軸たりうるものはいまだに出てこないんですよ。話を分かりやすくすると、米国型かスウェーデン型か。「骨太」が前者に近いものだとしたら、「スウェーデンのように消費税を二五%にしても、誰もが満足できる福祉を国が提供する」といった方向性を掲げた政党が日本にはない。自民党も民主党も真の対立軸を示せてはいません。
山口 ただ、ここまで格差が先鋭化し、医療とか教育とかのミニマム保障さえ危機にさらされるような状況下では、民主党が改革路線への対抗として打ち出した「生活第一」というのは、それなりに意味のあるアジェンダです。世界標準の二大政党制をつくるのだという志を持って、論争を挑んでもらいたいと思っています。
一方で大きな問題だと感じるのは、日本では政策論争と政権交代の仕分け≠ェつかなくなっていることです。この間、民主党が政権奪取に軸足を置いているために、これだけいろんな問題が起っているにもかかわらず、政策論争らしきものはほとんど行われませんでした。
竹中 ご指摘の通りで、何か抜本的な政策を打ち出そうとすると、すぐに政局になってしまうんですね。ここ二〇年ほどで、首相が一五〜六人入れ替わってる。議院内閣制の本家、英国では、首相は十年前後の長期政権です。一定の期間が与えられないと、思い切った政策など実行できません。あのサッチャーさんですら、金融ビッグバンをなし遂げるまで七年を要しているのですから。英国経済を考えると、批判を乗り越えてやり遂げたあのビッグバンは、非常に大きな意味を持っていた。わが国でも、郵政民営化には準備段階を含め四年かかりました。小泉長期政権だったからこそできた。
山口 英国では保守党と労働党の政権交代自体が一〇年の単位なんですね。裏を返せば、一〇年野党であることに耐える。労働党は、一八年間野党暮らしだったのですが、その間世代交代を図り、じっくり政策を練り直して、「第三の道」というアジェンダを掲げて返り咲きました。こういうメカニズムがうまく機能するか否かが、政党政治の質を規定するように感じます。
日本でそうならない理由はいくつかあると思いますが、自民党に関して言わせてもらえば、特に一九九三年細川内閣時の下野の教訓から過剰に学びすぎて、とにかく政権にあるためには何でもありの機会主義≠ノ陥ってしまった。小泉改革でさえ政権維持の材料にしたわけです。個人的には、ここまで機会主義に染まってしまった政党にはいったん退いてもらう。そうしないと、あるべき政党システムをどう構築していくのかという議論にさえ入れない気がします。
竹中 ただ、自民党が政権にしがみつきたい人たちの塊であるのと同様に、今の民主党は政権を奪いたい人間の集まりに見えます。何が言いたいのかというと、もし民主党が政権を取っても、結局自民党と同じメンタリティに陥りかねないと思います。
山口 その危険性はありますね。
竹中 あえて身も蓋もない言い方を許していただけば、自民、民主にかかわらず今の政治集団は政策立案能力をほとんど喪失しています。政治の内部にいて最も実感したのは、どんなに抜本的な改革でも、突き詰めれば細かい行政手法の積み重ねだということです。そうしたノウハウは官僚が独占している。あれだけ非難されても官僚の跋扈が止まないのはそのためです。政治家の顔ぶれが替わっただけでは、この壁を突き崩すのは難かしい。
実は、不良債権処理も郵政も、政治や民間サイドに具体的なプランや知恵はほとんどなかった。とはいえ、現役官僚を引き込めば、いいようにやられるだけなので、優秀な元官僚やいわゆる「脱藩官僚」を一〇人ほど集めてゲリラチーム≠つくり、具体策を詰めました。やってみて再認識したのは、「政治家にはこういう能力はないな」という冷厳な事実です。
大きい政府か小さい政府か
山口 九〇年代には竹中さんと同じ課題に仲間として取り組んだという意識が私にはある。すなわち、官僚支配と自民党の族議員政治こそが日本をおかしくしている悪の元凶であると。そこに竹中さんは経済学の立場から、私は政治学の立場から批判の矢を放ち、一定の世論形成に成功した。
竹中 そうですね。
山口 私はデモクラシーによって既存のタテ割り行政にメスを入れ、資源の配分を変えるべきだと訴え、竹中さんは官と民の境界線を引き直し、市場原理も大胆に取り入れることで官僚制の病理を是正しようと目論んだ。
竹中 その点で一つ誤解を解いていただきたいのは、我々がやったことに対して「新自由主義」というラベリングが横行しているのですが、それは事実ではないということです。たとえば郵政事業の民営化はオランダでもドイツでもイタリアでも実行されましたが、だから新自由主義だなどと評された例はありません。不良債権処理の時も、「自由にやらせてほしい」と主張する銀行に、ルールを強化してたがをはめたのが我々です。私のどこが新自由主義者なのか。「この人はアメリカ一辺倒」というようなレッテルを貼って実質の議論を封殺することの弊害は計りしれないものがある。
山口 竹中さんが被害者意識をお持ちだとは意外です。小泉路線に関する論議を貧相なものにした最大のマジックワードは「改革」でしょう。この大変聞こえのいい言葉を小泉さんや竹中さんが独り占めして、経済財政諮問会議などから出す政策をすべてこのパッケージに包んだ。そこには地方交付税の引き下げとか医療費の削減だとか、国民生活に直接影響する施策がたくさん内包されていたのに、それらがまともに吟味されることなく通ってしまったんですね。
そもそも、小泉さんは改革の中身を体系的に説明したことが一度でもありますか?「郵政民営化が構造改革の一丁目一番地」と言いながら、じゃあ二番地はどこなのかという説明を聞いたことはないように思います。
竹中 非常に興味深いご指摘なので、反論させていただきます。結論から申し上げれば、政治の世界でどれだけ改革について語っても世間に伝わらないもどかしさを感じました。記者会見でも国会でも、毎日説明しているのに、誰も正確に伝えてはくれないわけです。改革には不良債権処理のようなリアクティブ(守り)のものとプロアクティブ(攻め)なものがある、郵政民営化が成った後の二番地として財政投融資の改革が必要だ――というようなことは、さまざまなところで述べ、本にまで書いたのですが……。
改革そのものに関して申し上げておけば、できたものもありますが、残念ながらまったくと言っていいほど進んでいない分野も多く残っています。社会保障にしろ「三位一体」改革にしろ、道半ばの状態ですね。
山口 社会保障は道半ば、とおっしゃいますが、たとえば医療費抑制は小泉改革の柱の一つではないんですか? あれを断行したことで、医師不足、救急崩壊など、いろんな問題が顕在化しているのは事実でしょう。
竹中 医療費の抑制は財政的な課題ですよね。しかしその結果をどう負担し配分するのかは、すぐれて厚生労働行政の仕事なわけです。はっきり申し上げれば、大臣がしっかりしていれば現在とはずいぶん違った姿になっていたはず。全体を一律に削るとかいうのではなく、現存する無駄を省いて必要な部分にはさらに手厚くするといった方策が十分可能なのですよ。役人に丸投げするから、ああいうことになるのです。見識ある人物が厚生労働大臣に就き専門家を集めて改革に乗り出せば、事態はドラスティックに変わります。残念ながら、今現在もあそこにはそういう人材がいない。
山口 しかし、日本の場合は、諸外国に比べて医療にしろ教育にしろ公的支出がそもそも小さいのです。これをさらに切り詰めれば、現場で歪みが生じ、ナショナルミニマムの確保さえ危ぶまれる事態が容易に想像できます。
公共セクターの役割というものを考えた時、日本は人口比で公務員の数は少ないし、租税負担率は低く政府の予算規模も小さい。初めから小さな政府なんですよ。
竹中 これも誤解があるのですが、公共部門の対GDP比率は決して減ってはいません。さきほどの医療費だって抑えようとはしていますが、減ってはいないんですよ。財政をぶった切ったというようなとらえ方が間違いなのは、数字を見てもらえば明らかです。「小さな政府にした」のではなく、「大きな政府にならないように必死で耐えている」というのが正しい理解です。個人的な思いを申し上げると、小さな政府を志向するのは、政府を信用していないからにほかなりません。政治の中に入って、ますます確信を深めました。「大きな政府」になどなったら、この国はえらいことになる。
ただしあえて付言しておくと、確かに予算規模などは小さいのですが、日本は米国の五倍の資産を持っていること忘れるべきではないと思います。GDPは米国の半分ですから、GDPサイズではおよそ一〇倍の資産。持たなくてもいい資産で肥え太った大きな政府ということもできるのです。財務リストラも喫緊の課題でしょう。
山口 財政赤字はそんなに深刻な問題ではないと?
竹中 売れる資産は売って、借金を返すことを考えるべきです。ただし赤字が増え続けていることは事実ですから、ここは正していかなくては。
山口 ただ、小泉さんの断行した「改革」の結果、医療とか介護とか教育とかの多くの現場で、資金の投入が滞った結果、担い手が疲弊しきっているというというのは厳然たる事実です。無駄を省くのはいいのですが、民営化できない世界もある。ミニマムの保障の部分で不安感が増大するようでは、国民が将来に対する希望を持てるはずがありません。何のための改革なのかと思わざるをえないのですよ。
竹中 政府でしかできないことがあるというのはまったくその通りで、だからこそ徹底的に無駄を省いて、必要なところに集中的に資源を集中できるようにすべきだと主張しているのです。例えば、政府系金融機関。中小企業金融は各国持っていますが、日本のように各省庁にあまねくぶら下がっている例は皆無です。こうした無駄を放置したまま国民、特に若い世代に負担増を強いれば、それこそ希望が持てない国になる。
山口 結局のところ、現状は省くべき無駄が放置されたまま、削ってはいけないところにばかり手を突っ込んでいるような気がします。
竹中 そんなことはありませんが、「改革が道半ば」で、まだら模様なのは残念ながら事実です。だからもっと全面的に、強力に押し進める必要がある。
山口 私は改革というものはスクラップ・アンド・ビルドだと思っています。削るのは、あくまでも行政需要がなくなったと判断できる部門。そして新たに需要が生まれた、たとえば介護のような分野にちゃんと資金を入れる。理解が皮相的なのかもしれませんが、「まず削減ありき」「パブリックセンターはできるだけ小さくして民間へ」というやり方では、国民との齟齬がますます拡大するように思います。
労働分野の規制緩和のゆくえ
竹中 私はよく引き合いに出すのですが、「公私」という概念と「官民」のそれとは別ものにもかかわらず、混同されて「政府(官)か市場(私)か」などという言われ方をされるんですね。経済学者的に整理すれば、「公私」のうち「私」財の配分は全面的に市場に任せればいいのですが、「公」は別。ただし従来のように「公」を「官」が独占しているのが問題なのです。「民」ができる部分はやってもいいんですよ。電力供給がいい例です。そうした分野はいくらでもあります。
山口 私も市場主義を否定はしませんが、やはり行きすぎを感じます。たとえば労働です。労働の規制緩和によって、本来市場メカニズムになじまないはずの「人間」そのものまでが商品化され、コストカットの対象にされてしまった。構造改革路線の間違いが表面化した典型例でしょう。
竹中 私は逆に労働市場こそ最も改革が必要な分野だろうと認識しているのです。原則論としては山口先生のおっしゃるように、労働はモノやカネのように売り買いしてはいけないものだと私も思っています。同時に働く時間や働き方などを選びたいという、労働の多様化ニーズが非常に高まってきたわけで、これに応える方策としてたとえば派遣労働のようなあり方も、それ自体は認めていいと思います。
問題は、主として日本の労働法制の歪みに起因する正規雇用と非正規雇用の格差です。格差を解消するためには、正規・非正規を問わず「同一労働・同一賃金」にして、雇用保険や年金なども同じ条件にすればいい。オランダがやったことをそのまま真似するのです。安倍さんにも進言したのですが、折悪しく「ホワイトカラーエグゼンプション」が騒がれる事態となり、労働分野の改革は躓いてしまった。現状では部分的に自由化されたため、余計に歪みを生んでいる面もあります。改革を急がなければならない理由です。
山口 欧州の中道左派勢力も、最近はグローバル化の波に抗うのは無理だという現実を前提に政策を作るんですね。長期安定雇用のモデルは現実的ではないと。そこで「柔軟化」という考え方が出てくるわけですが、そのためにはボトム、すなわち失業給付だとか職業訓練だとかの政策的な支えを整備する必要があるというのが、共通認識になっています。ひるがえって日本はどうか。結局、企業の人件費抑制のために規制緩和がいいように利用されて、メチャクチャな低賃金労働が急速に増えたというのが現実です。
竹中 法律の問題もあるのですが、労働監督が現場で機能していないというのも大きいんですよね。ここがしっかりしていれば、サービス残業なんて許されないはずなのに。
山口 監督署が人手不足に陥ってるという実態もあるります。レフェリーが絶対的に足りない。
竹中 おっしゃる通り。他方、地方農政局なんかには何もやらないでぶらぶらしてるような人がゴマンといるんです。たとえばそこを削って仕事のあるところに回す。それが我々の言う改革ですよ。改革が不十分だからこんな状態になっている。山口先生がご指摘のファクトはすごく正しい。いっしょに「改革を推進せよ」と言っていただけませんか(笑)。
山口 だから「改革」でひとくくりにするのではなくて(笑)、具体的な中身をスペシフィックに吟味する必要があるんですよ。
竹中 小泉改革は増やすべきところを増やし、減らすべきところを削るという、まさにスペシフィックな政策なんです。「新自由主義だから」ウンヌンではなく、そういう各論を論議しようと私もずっと言ってきている。ご指摘の通り一層詰めた論議をしなければいけないと痛感します。
「世界の孤児」と「希望格差」
山口 ところで、サブプライムローンに端を発する米国の金融不安が、総裁選さなかのリーマン・ブラザーズの破綻というかたちで現実化しました。一方、同じく危機に陥ったAIGに対しては、米国は公的資金の投入による救済に踏み切りましたね。この問題も、政府と市場との関係をあらためて問うものだと感じます。専門家の視点からいかがですか?
竹中 総論的に言えば、危機に陥った第一義的な責めは当然、当該企業の経営陣が負わなければなりません。同時に金融には監督当局が介在しますから、彼らも責任を問われることになるでしょう。いずれにせよ今回は、その当局の予想をはるかに超えたお化けのようなマーケットが形成され、そこにいいかげんな経営が絡んだという図式ですから、立て直すのは本当に大変だと感じます。
また、「リーマンは潰したのにAIGを助けたのは矛盾ではないか」という意見がありますが、私はそうは思いません。公的資金にもいくつかあって、大きく分ければ融資と出資。証券会社に対しては出資することはできないんですね。察するに、リーマンは融資だけでは立ち直れないという判断があったのではないでしょうか。
山口 さきほど竹中さんは政府を信用しないとおっしゃいましたが、かといってサブプライム問題が象徴するようにマーケットを全面的に信頼することもできない。結局のところ「真理は中庸にあり」で、政府が機能不全に陥れば市場原理をある程度拡大して効率化、活性化を企図し、反対にマーケットが暴走したような場合には政府が国民の守り手として登場する。そんな振り子の振れを、「右に行きすぎだ」「いや足りない」とみんながそれぞれの立場で注視している、そんな時代なんでしょうね。
竹中 その通りです。そのうえで現在の「振れ」がどうなっているのかを考えると、日本の場合は規制緩和を軸に据えた改革をさらに推進しなければいけないんだということを、もう一度強調しておきたいと思います。経済のどの部分が政府による規制を受けているかという国際的な比較研究をみると、例外なくわが国はいまだに最も規制の多い国の一つなのです。これでは活力の面で負けてしまう。
「経済発展が遅れた国ほど高い成長率を実現する」という経済学でいう「コンバージョンス・セオリー」は中国には当てはまっても、今の日本には当てはまりません。日米の一人当たりの所得を比べると、米国は日本より三割高いのに経済成長率も上回り、格差がどんどん拡大しているのです。この現象を「仕方ない」と見るのか「どこかに日本の経済発展を阻害するものが存在するのではないか」と分析するのか。私は後者だと思っています。
山口 米国はあれだけ所得格差のある国ですから、そもそも「一人当たり」の数字にどれほどの意味があるのか私には疑問ですね。
竹中 もちろん配分の議論はあると思うのですが……誤解を恐れずに言うと、多くの日本人は「そうは言っても日本経済は強いから大丈夫だろう」と思い込んでいるような気がするんですね。でも気がついてみたら、ソニーとパナソニックの時価総額を全部足して韓国のサムスンと同程度という状況になっているわけです。私は危機感を覚えます。このまま振り子を戻して古い時代の政治、経済体制を復活させるようなことがあれば、またしても「失われた一〇年」が現実のものとなるんじゃないか。
山口 その危機感は分かるのですが、今日本人が何となく将来に対する希望を失い国力の衰退を実感しているのはなぜかと考えてみると、要は学校に行って就職して最低限普通の暮らしができるという、平均的な生活のモデルが崩壊しつつある。それが最大の理由なのではないかと思います。
竹中 グローバル化によって、モデルは世界中で崩壊しているんですよ。だから各国とも必死になって新しいチャレンジをしようとしている。日本だけ古いモデルにしがみつこうとしても、それは無理な相談だと思います。
山口 いまさら終身雇用に戻せというのがないものねだりなんだ、というレベルの理解は広がっていますよね。問題はその水準を超えた格差社会が不気味に拡大しつつあることです。ワーキングプアの問題もそうですし、教育格差も深刻です。ここまで教育コストが上がると、たまたま収入の低い家庭に生まれた子どもは、頑張って勉強していい会社に入って、という意欲さえ奪われる。まさに「希望格差」です。少なくとも頑張れば道は開けるんだというモデルは再構築する必要があるのではないでしょうか。モデルを担保するのが公的な支援であることは言うまでもありません。
竹中 ただ、「中流のモデル」にしても政府が作ったのではなく、民間から提示されてきたものでしょう。新たな時代環境に適応したモデルがまだ示しきれていないというのが現状で、遠からず出てくると思いますよ。とはいえ、従来のように安心した答えを出すのが難しい時代であることは確か。そういう現状を訴えて、国民の知恵を引き出すのも政治の役割でしょう。
山口 やはりどこまで行っても平行線だと思われる部分と、多少誤解もあったかなと思われるところが……。
竹中 ありますね。同感です。
山口 さっき「各論を論議すべき」という話になりましたが、私は同時に自民党も民主党も、日本の進むべきビジョンをぜひとも明確に示すべきだと思います。個人的には「第二のニューディール政策」が必要だと考えるのですが、産業に関して言えば環境問題とか資源エネルギーとか、日本にとって重要な課題であると同時に、世界の中でリーダーシップを取れる分野でもある。
竹中 まったくその通りで、特に環境分野では、世界最先端の省エネ技術を持つわが国は問題解決に大きく貢献できるはず。というより、欧米の技術では地球を救うことはできないと言っても過言ではありません。だからチャンスはあるんですよ。総選挙では、そうした国の進路についてもぜひマニフェストに掲げて、競い合ってほしいと思います。
山口 日本であるべき二大政党制が実現できるのか、ある意味で試金石になる選挙にも思えます。堂々と政策で渡り合うことを期待したいですね。
構成・南山武志
(「中央公論 2008年11月号」 特集「政治崩壊」)
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