11月4日に投票されたアメリカ大統領選挙では、予想通り民主党のバラク・オバマ候補が圧勝し、史上初のアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生することとなった。これは歴史的な事件であり、アメリカのみならず、世界の政治に大きな影響を与えるに違いない。
まず何よりも、アメリカ人そして世界の多くの人々が民主主義に対する希望を回復したことが、今回の選挙の最大の意義である。オバマは勝利演説の中で、政治的シニシズムや懐疑心に対する答えこそ、今日の選挙だと高らかに宣言した。実際、大統領選挙における投票者は史上最多に上り、多くの投票所では3、4時間も投票を待つ市民が長蛇の列を作った。歴史を作ることに参加するという市民の熱気が、新聞やテレビを通しても伝わってきた。私はこの光景を見て、希望に関する魯迅の有名な言葉を思い出した。「希望は、地上における道のようなものである。もともと地上に道はない。たくさんの人が歩けば、それは道になるのだ」と魯迅は書いた。まさに、多くの市民が投票所に歩むことによって、アメリカの民主政治に新しい道を開いたのである。
「丸太小屋からホワイトハウスへ」という機会平等の神話が21世紀の今も生きているということは、アメリカのソフトパワーを高めたということもできる。アメリカ国民が黒人大統領を誕生させたことによって、アメリカは民主主義の盟主としての威信を回復した。また、アメリカ人が政治的な面での自己修正能力を持っていることも示された。ブッシュ時代に失われたアメリカに対する敬意が復活するということは、アメリカにとっても、世界にとっても好ましいことである。
政策面では、貧困・不平等の拡大と軍事優先のブッシュ路線からの転換をアメリカ人が選んだ点に、選挙の最大の意義がある。9月以降のアメリカ発の金融危機が、オバマに対する支持を拡大する要因となったことは明らかである。貪欲をエンジンとする投機とバブルの経済が破綻した後は、やはり公共部門の出番である。マケイン陣営は、オバマに対して、再分配路線、社会主義などと批判を浴びせていたが、まったく国民の共感を得なかった。一握りの金持ちが好き放題をした挙句に、全国民、全世界を巻き込む経済破綻を引き起こしたことをアメリカ国民は理解していた。オバマ新大統領は、大恐慌のさなかの1932年に当選したフランクリン・ローズベルトと同じような役割を担うことが期待される。
ブッシュ政権が残した負の遺産はあまりにも巨大で、オバマの前途は厳しい。ハローウィンの日のニューヨークタイムズの風刺漫画では、幽霊屋敷のようなホワイトハウスに、財政赤字、金融危機、失業、健康保険などの魑魅魍魎が集まり、ようこそオバマと叫ぶというものがあった。しかし、危機こそ政治家にとって歴史に名を残すチャンスとなる。オバマには国民の支持、信託という強力な武器がある。選挙で公約した中産層の復興のために思い切った政策を打ち出すならば、野党や党内反対派にとって抵抗することは難しい。これから政権発足に際して、自分の持つ政治的な力をどこまで的確に使うか、注目したい。新自由主義の本山であるアメリカで政策転換が起こり、公平と平等が尊重されるようになることが、世界の平和と安定にとって貴重な第一歩となる。
次に、日本にとっての影響について考えてみたい。いくつかのメディアから大統領選挙についてのコメントを求められた。その中で、民主党の大統領になったら保護主義の圧力が強まり、日米経済関係は悪化するのではないかという質問があり、今頃そんなステレオタイプを持っているジャーナリストがいるのかとびっくりした。アメリカの指導者が誰になっても、今回の世界金融危機を契機に日本は輸出依存の経済構造を変え、国内の需要喚起と、世界的なニューディール政策のためにアメリカと協力することが求められていると、件の取材には答えておいた。
アメリカ政治の大変革は、日本にも波及するであろう。日本でも、政治のチェンジを求める声は強まるに違いない。麻生太郎首相が、「誰が大統領になっても日米同盟は不変」と、オバマ大統領誕生にやや後ろ向きとも取れるコメントを出したのも、変化を歓迎したくない気持ちが率直に表に出たのであろう。大統領の就任式は来年1月20日であり、当分はオバマブームが続くであろう。それにつれて、政権交代を叫ぶ日本の民主党にも追い風が吹くに違いない。
しかし、民主党がただオバマにあやかろうとするだけでは、興ざめである。日本の政治家がオバマから学ぶべきものは、言葉の力である。未来に対する希望を失った国民を奮い立たせる言葉こそが求められている。オバマのような数奇な人生経験はまねできるものではない。しかし、理想を語る志の高さ、まじめさ、ひたむきさについては、日本の政治家にも匹敵できる人はいるであろう。特に、この数年のように、社会が荒廃しているときには、それだけ理想の輝きも増すはずである。
日本の政局に目を転じれば、当面の景気対策をめぐって政府与党が迷走している。総額2兆円の給付金という話を聞くと、日本の政治家はここまで志が低くなったのかと嘆息するばかりである。一人ずつ2万円弱の金を配れば希望を取り戻せるだろうと政治家が考えるなら、そのような政治家が動かす政治には絶望するしかない。民主党はとりあえず政府与党の愚行を非難していればよいが、自分たちが権力を持ったときに目指すべき理想を提示できるのだろうか。
これから総選挙に向けて政策論争が一層激しくなるであろう。財源をめぐる論争も結構だが、それはあくまで手段の問題である。政治において最も大事なものは理想と志だという教訓を与野党ともにかみ締めてほしい。
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