12月初旬に報道各社が行った世論調査では、麻生政権支持率が軒並み20%代前半にまで落ち込み、政権運営は危険水域に入った。麻生首相がいつまで持つかとか、次の総選挙前に再編の動きがあるのではないかと、永田町はにわかに騒がしくなった。溺れる自民党は福田を捨てて、麻生という藁をつかんだが、それによってもっと大きな墓穴を掘ることになった。今年の秋に選挙をしていたら、自民党と民主党が第一党の座をめぐる接戦を繰り広げたのだろうが、来年春以降に選挙があれば、自民党は惨敗するのではないか。政治の運命の過酷さを感じざるを得ない。
日本の危機は幾重にも折り重なっている。小泉構造改革によって国内の社会、経済が荒廃、疲弊しているうえに、世界的な金融危機が重なった。派遣労働者の大量解雇などにより生活の危機は一層深まるばかりである。また政治面では、新自由主義路線の破綻という世界的な政策の潮流に加えて、自民党の劣化という日本特有の問題が重なっている。口先では未曾有の経済危機と言いながら、国民が直面している危機の大きさを察知できない能天気な指導者は権力を守ることだけを目標に動いている。それこそ最大の危機である。
政治的な危機の源をたどれば、2005年総選挙に行き着く。あの選挙で与党は衆議院の絶対多数を得たにもかかわらず、郵政民営化以外にはめぼしい政策を実現できなかった。安倍政権時代の復古主義的教育政策などは論外として、改革といえば、社会保障や地方財政に関する財務省主導の中途半端な歳出抑制策が決まっただけで、日本の未来に向けた制度的先行投資は行われなかった。国会における安定多数を政策実現のために有意義に活用することなく、与党は漫然と時を過ごしてきた。
また、あの選挙以来、自民党では世論迎合政治が決定的に支配するようになった。受けのいいリーダーを選んで、それにぶら下がって次の選挙を迎えるという安易な手法が蔓延するようになった。自民党全体でリーダーを鍛え上げ、問題に立ち向かうというよりも、人気のありそうなリーダーという勝ち馬に自分も乗るという、ケインズの言う美人コンテストのようなリーダー選びが、ポスト小泉の時代には続いた。政府の行動について世論の支持を作りあげるという能動的な姿勢は影を潜め、世論らしきものを常に忖度しながら、それにおずおずとついていくという意味で、消極的な世論迎合政治が自民党の特徴となった。
ここまで自民党政治が劣化すれば、もはや政権交代は必然である。ちょっと気は早いが、有意義な政権交代が実現するために何が必要か、考えてみたい。単に麻生あるいはその後継の政権に引導を渡すというだけの政権交替では意味はない。現在の危機を脱するための政策転換について、推進力を得る政権交代になるかどうかが問われるのである。
この点に関連して思い出すのは、1997年5月に起こったイギリスの政権交代である。あの時私は、オックスフォード大学に留学していて、選挙の前後における政治の展開を観察することができた。18年ぶりの政権を奪還したトニー・ブレア率いる労働党は、周到かつ強力に政策転換を実現した。まず手をつけたのは、スコットランドの地方分権、イングランド銀行の独立性強化など、金はかからないが、印象的な政策転換であった。そして、ある程度政権基盤が安定したところで、勤労者向けの所得減税、医療政策の大幅拡充など、予算の絡む政策転換を大規模に実施した。政権交代の前に、明確なマニフェストを作り、どのようなテーマについて、どのような手順で政策転換を進めるかという戦略が十分できていたからこそ、水際立った政権運営が可能となったのである。
本来ならもっと早く実現すべきだった政権交代をブレア以前の労働党指導部の詰めの甘さで逃していた。しかし、そのおかげで保守党政権は一層陳腐化し、国民の飽きも頂点に達した。そしてブレアのもとに若くて優秀な政治家が結集し、次の政権の準備を虎視眈々と行っていた。
今の民主党に、そのような戦略や準備はあるのだろうか。国民の社会経済状況に対する危機感と、自民党政治の堕落に対する不満を背景とした新政権は、強い正統性と大きな勢いを持つはずである。その勢いがある間に、平時では官僚の反対などがあって難しい課題について、一気に実現するという戦略が必要である。社会保障制度の再建、疲弊した地方の再生につながるような地方分権が、その際真っ先に追求すべき課題となるであろう。民主党のマニフェストについていろいろ話は伝わってくるが、大局観が見えてこないことは残念である。
年が明け、通常国会が始まれば、衆議院の残り任期はカウントダウン状態となる。麻生政権や自民党は自壊の道をたどっており、ことさら早期解散などと叫ばなくても、決戦の時はおのずとやってくる。むしろ今の民主党に必要なのは、政策面での戦略と準備である。政治改革という単一争点だけで、その他の具体的な政策課題に何ら手をつけられなかった細川連立政権の失敗が頭をよぎる。
落ち目の自民党の中では、選挙前の再編論議も出てくるだろう。しかし、そんなものに付き合って、政権交代の意義をぼやかすようなことをすれば、民主党にとっては自殺行為である。仮に、小泉政権の新自由主義改革路線や対米追随路線に対する総括もなしに、中川秀直元幹事長やいわゆる若手改革派とつながるならば、それは大義名分も理念もない、自己目的的な再編ゲームである。そのような見え透いた策動に誘い出される軽率な政治家はいないだろうとは思うが、気になるところではある。
2009年は、日本にとって半世紀に一度というような大きな政治選択の年となる。ここで誤りなきを期すためには、民主党の自重と研鑽が必要なのである。
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