二〇〇八年は、数十年に一度の経済危機で終わった。もちろん、当面の危機を打開することは政治の緊急課題であるが、危機こそ政治を変える大きなチャンスになることを痛感している。言うまでもなく、そのもっとも分かりやすい例はアメリカにおけるバラク・オバマ大統領の誕生である。経済危機が起こったからこそ、アメリカ国民は従来の金持ち優遇の経済政策の問題点を明確に理解し、変化を求めてオバマに投票した。経済危機が起こらなかったら、あれほどの大差の勝利にはならなかったであろう。
日本では、麻生太郎首相の腰が引けて、選挙は今年に持ち越された。変革の機会を先延ばしにされたことに対して、国民は大きな欲求不満を持っている。最近の内閣支持率の急落は、我々に決めさせろという要求の表れではないだろうか。
今年は九月までに必ず総選挙が行われる。戦後の政党史上で、初めて二大政党が政権をかけて戦う、政権選択の選挙となる。通常国会の論戦において、選挙に向けた論争をしっかりと行い、自民党と民主党の対決構図を明確に、具体的に描いてほしい。何よりも必要なことは、郵政民営化をめぐる単一争点選挙であった二〇〇五年九月の前回総選挙以降の日本の歩みについて、厳しく総括することである。それこそ、対立軸を定める基礎となる。
確かに郵政民営化という公約は実現されたが、それ以外の「改革」は日本に何をもたらしたのだろう。労働の規制緩和とはそもそも不景気の時に企業が合法的、容易に首切りをできるようにするための政策であった。だから、今の景気悪化に対して企業が大規模な派遣切りをするのは、むしろ「改革」の当然の帰結である。「改革」の名の下に社会保障費を削減すれば、医療現場は疲弊するのが当たり前であり、救急患者のたらい回しも政策の結果である。前回の選挙の時、私は小泉構造改革について、郵政民営化という入り口だけははっきり見えるが、中は魑魅魍魎が待ちかまえるお化け屋敷だと評した。今さら先見の明を誇っても仕方ないが、改革の中身を吟味せずに投票した国民にも責任はあると言いたい。
これからの政治の論争に必要なのは、我々がどのような日本社会で生きていきたいかという理念である。大きな危機に陥って初めて、我々はどのような社会を目指すべきかまじめに考えることができる。今こそ、政治指導者から、志を示す言葉を聞きたい。
永田町からは、政党再編をめぐる議論が聞こえてくる。小泉改革を推進した政治家と民主党がなぜ手を組めるのか、私にはまったく理解できない。麻生政権がだめだというだけでできる連携なら、そのような連合軍も、自公政権と同じく、すぐに国民から見放されるに違いない。いずれにしても決戦の時は来る。民主党は早期解散に追い込むなどと力まずに、国会論争を通して、政府与党との対決姿勢を、気迫を込めて、分かりやすく示すべきである。
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