2009年は日本政治の選択の年である。友人から来た年賀状のほとんどには、政治の閉塞を嘆く声、政権交代を待望する声が記されていた。日頃は政治的な発言や行動をしない人でも、政治の現状に対する不満と憂慮は大きいのであろう。永田町もメディアも、今度の総選挙における政権交代を織り込み済みで動いている印象さえある。1月初旬の朝日新聞と共同通信の世論調査では、麻生政権支持率が20%を割り、政権維持はますます困難になっている。この政権はどんなに長持ちしても予算と関連法案の成立までであろう。
長年政権交代を叫んできた者にとっては喜ぶべき事態なのであろうが、政権交代の可能性が高まれば高まるほど、不安も大きくなる。1993年の細川政権の失敗を繰り返さないために、政権交代を起こす側が何を注意すべきか、考えてみたい。
争点のコントロール
経済危機の中で政権交代を起こすことは、新しい政権党にとって政権維持の困難を倍増させる。まさに、昨年9月、民主党代表に再選された時に小沢一郎代表が叫んだように、今は大場より急場である。雇用や医療・介護など国民生活を支える土台を建て直すために、印象的な政策を迅速に実行することこそ、民主党の課題である。
そこで障害となるのは、この党のある種の生真面目さである。政策には財源の裏づけが必要だというもっともな主張を状況に関係なく繰り返すのは、政治的には愚かな行動である。帳面の上で財政赤字を少なくすることが国家の利益だと考える財務省的な発想は、現在のような危機の局面では有害である。民主党の若手には、官僚と同じような近視眼的な合理主義を旨とする者も多い。だがこの際、ちまちまとした政策の整合性にこだわるべきではない。現に失業者が路頭にあふれたら、生活保護などあらゆる政策で救済しなければならない。それが政府の仕事である。予算が足りないなどというのは官僚の言い訳であって、政治主導という言葉は、それを乗り越えるためにこそ存在する。
もちろん、急場をしのぐことだけが新政権の課題なのではない。ポスト構造改革の日本のビジョンを示し、その礎石を据えることが本来の任務である。急場をしのぐ政策から、将来ビジョンへと順調に接続できれば、理想の展開である。たとえば、学校や病院の耐震工事を進め、災害時の安心の拠点を整備し、さらに医療や介護分野で新しい雇用を作り出す。農山村で減反を緩和して飼料米を作り、木質バイオマス燃料を開発することで、食料とエネルギーの自給率を少しでも引き上げる。こうした将来像を描くことこそ、危機における政治家の役割である。
政権交代とは、新しい政策の実験、既存の政策の転換を進めるための最大の政治的な資源となる。国民からの負託は官僚の抵抗を排除するための有効な武器となる。国民がこの政策を選んだという手続きを取ることで、政策決定のスピードを上げることができる。「too little, too late」という日本の政策決定の宿痾を脱却するためにも、政権交代は必要である。
逆に、今の日本にとって緊急の必要性がない問題、特に安全保障や外交面での大きな政策転換に取り組むことは賢明ではない。2007年秋、小沢代表はアフガニスタンに自衛隊を派遣することができるという持論を雑誌に発表した。しかし、これは現地の実情を見ない暴論である。日本が率先して軍事的役割を担う必要性はない。ソマリア沖の海賊対策にしても、海上保安庁がアジア各国との協力で成果を上げてきたマラッカ海峡での警備活動の延長線上で考えるべきである。このように、民主党には慎重かつ賢明に争点を選択することが求められているのである。
政府与党の体制構築
政策面と並ぶもう一つの難問は、政府と与党の体制構築である。小沢は政治主導を実現するために、与党の国会議員を百人以上行政府の中に入れると主張している。しかし、民主党にそれだけの人材がいるのであろうか。さらに、次の選挙では小泉チルドレンを裏返したような新人議員が大量に出現することを考えれば、政府と与党をどう関係付け、どのような意思決定の仕組みを作るかという課題が想像を絶する難問であることが分る。
様々な政策課題についてすべてトップダウンで決めることなど不可能である。専門家としての官僚の情報や技術を的確に使いながら、中堅の政治家が論議、調整しながら政策をまとめるという手法そのものは、民主党が政権を取っても大きく変えることはできないであろう。その意味で、行政の硬直性は批判しつつ、新しい課題に向けて官僚のやる気を引き出すような政治的リーダーシップが必要となる。また、政権交代が起こっても、国会運営の現場指揮官は必要である。民主党には表舞台で目立ちたいという政治家はいくらでもいるが、縁の下の力持ちとして政権を支えるという徳のある政治家がいるのかどうか、不明である。
政権を取る前から、政権を取った後のことをあれこれ心配しても取り越し苦労だと言われるかもしれない。実際、今の民主党からは野党のくせに、政権をとったような顔をして、取らぬ狸の皮算用をするのはみっともないという声も聞こえてくる。しかし、ここで謙虚になる必要はない。麻生政権に退陣を迫るときに、民主党が政権を取ったらこのような陣立てでこのような政策を実現するという構想を示すことは不可欠である。
国民から見放された麻生政権がひたすら政権にしがみつき、時間を空費するのは、危機の日本にとって実に大きな損失である。来年度予算は、国民から負託を受けた政権が経済危機を打開するために作るべきものであった。それであればこそ、民主党は自分たちが政権を取った暁には、予算をどのように組み替えるかという明確な構想を持つべきである。
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