一月二〇日の、アメリカ、オバマ新大統領の就任式には、世界の目が集まった。もちろん、アメリカが直面する経済危機は深刻で、オバマ政権がすぐに解決できるものではない。それにしても、マーチン・ルーサー・キング牧師が、一九六三年のワシントン大行進の際に語った「夢」が、自分の目の前で実現しているという感動は大きかった。政治における可能性を改めて教えられ、みんなで力を合わせれば、一見不可能なことでもできるという希望を与えてもらったように思う。
政治の変化という課題について、日本はすっかり後れを取った。政治家の議論を聞いていても、可能性や希望はほとんど感じられない。日本では、政治家がまるで官僚のように、現実的という言葉に縛られて、夢を見ることさえできなくなっている。その典型例が、沖縄の米軍基地問題である。
今沖縄の米軍基地をなくすと主張することと、四五年前に黒人がアメリカ大統領になると予想することは、どちらが荒唐無稽だろう。現状を熟知している政治家やメディア関係者にとっては、どちらも同じくらい不可能な話だったろう。しかし、アメリカでは不可能が可能になった。なぜ日本人だけ、不可能を不可能のまま受け容れるのだろう。
もちろん、不可能を現実にするためには、多くの市民の粘り強い戦いがあった。高い壁に挑むリーダーの勇気も必要であった。いつかは夢が実現すると信じることこそ、現実を変える原動力であった。日本人にそのような能力が先天的に欠如しているとは思えない。
新政権の誕生は、日米関係をチェンジする好機である。オバマ大統領は、言葉を大事にする政治家である。その説得力によって、彼は最高指導者に上り詰めた。アメリカ社会における最も弱い立場、差別された人々の人間の尊厳を回復することの延長線上に、今日のオバマの地位がある。そのような経験に立脚するオバマの理想は、普遍的である。彼が世界に呼びかけたいくつかの理想、人間の尊厳、平等、暴力の否定を、日米関係の中で最も犠牲を強いられてきた沖縄に当てはめてみようと、日本から提案すればよいではないか。
日米安保をすぐになくすとか、基地を全廃するというのは、今のところ夢物語であろう。しかし、日本には日本の利益や事情があるという当然の主張をアメリカにぶつけ、折り合いをつけるという普通の国家間関係に向けて一歩を踏み出すことは、きわめて現実的な課題である。
日本では八か月以内に総選挙が行われる。政権交代の可能性も高まっている。国民に選ばれた政権が自国の国益を主張するのが民主主義である。それはアメリカも否定できない。まず、次に日本の最高指導者になりたい政治家が、主張すべき中身を具体化し、意志を持つことが大前提である。四〇年後の沖縄をどうしたいか、日米関係をどうしたか、夢を語ることは、きわめて現実的な課題である。
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