二月前半、五年ぶりにアメリカへ行き、いくつかの大学で日本政治について講演してきた。ブッシュ政権の時代にはアメリカにはとても行く気がしなかったが、オバマ政権の滑り出しを見ようという興味もあり、行ってみた。
まず驚いたのは、メディアの変わりようである。アメリカのテレビ番組には、ちょっと知的なコメディアンが政治を風刺するというのがいくつかあるが、毎日のようにブッシュがこけにされていて、愉快であった。書店には、新自由主義の矛盾を批判する学者の書物や、ノンフィクションが並び、五年前とは様変わりであった。ブッシュが愚かだということは前から分かっていた事実で、重要な政策決定が行われる時にきちんと批判しておけよとも思ったが、ともかくアメリカ社会が九一一以後の集団的思考停止状態から脱したことは慶賀すべきである。
オバマ政権は、最初の課題である経済対策法案の議会通過に苦労している時であった。ブッシュは退場したが、共和党は案外しぶとく、議会の少数派ながらオバマの政策には対決し、財政支出よりは減税をと、馬鹿の一つ覚えのように叫んでいた。当然のことながら、減税は富裕層に有利であり、今は貧困層と中間層への支援が何より重要である。共和党の議員に対しては、お前らは選挙で負けたのだから、しばらく引っ込んでいろと言いたかった。今は、超党派的な合意を作るためにあれこれ妥協するよりも、選挙で勝った方の政策を強力に推進する方が民主的である。
オバマについて、日本では特に本誌のような左派的メディアでは、ブッシュと似たり寄ったりの危険な政治家という評価が打ち出されている。私もオバマが救世主だとは思わないが、そのような主張に対してはあえて五十歩と百歩の違いを見分けるのが政治だと反論したい。日本でもおなじみのナオミ・クラインは、『プログレッシブ』二月号のインタビューで、我々はオバマに失望したなどと贅沢を言っている場合ではないと語っていた。権力者は常に危険である。まったく安全な政治家など、無能な政治家である。千載一遇のこの政治的好機を生かして、新自由主義で痛めつけられた社会を少しでも修復することこそ、政治という作業なのだというのが彼女の認識である。
さて、日本に帰ってみると、中川昭一の醜態である。中川が本当に愛国者なら、日本の名誉を損なったことを恥じ、財務相辞任どころか、議員を辞職し閉門蟄居すべきである。この辺にも、日本の右派のインチキさが現れている。
それはともかく、この事件で麻生政権の崩壊はカウントダウンとなった。次の総選挙での政権交代はもはや間違いないであろう。しかし、社民党には連立政権への参加をためらう声もある(『朝日新聞』二月六日)。自民党政治は批判したいが、その後の連立政権に参加して責任をかぶるのは嫌だという感覚こそ、まさにクラインの言う贅沢である。自民党が自壊過程にある今、中川秀直のような破廉恥な新自由主義者は、麻生批判をよりどころに次の連立政権での生き残りを画策するかも知れない。それを許さないためにも、民主党には左側のパートナーが必要なのである。
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