二月中旬、琉球大学法文学部の宗前清貞ゼミの一行が、雪深い北海道を訪ねてくれ、私も特別ゼミを行った。学生は熱心に議論してくれ、楽しいひとときであった。実は、私は琉大とは深い縁を持っている。二〇〇四年二月に集中講義を行い、その時のノートをもとに『戦後政治の崩壊』(岩波新書)という本を書いた。沖縄の明るい光と、学生の熱心な参加のおかげで、大変楽しい講義ができ、私自身にとっても新しい境地を開くきっかけとなった。先日、別のテーマについて東京で本紙のインタビューを受けた時、記者の一人があの時の集中講義を受けた学生だったそうで、私はとても嬉しかった。大げさな言い方だが、沖縄における人材育成に幾ばくかの貢献ができたことを、誇らしく思う。
北大と琉大は似た特徴を持っている。中央からの距離がとても大きいので、優秀な学生が結構地元の大学に残ってくれる。世間では学力低下といわれるが、優秀な学生は常に一定数はいるものである。そのような学生を相手にしていれば、教師は生き甲斐を感じることができる。
問題は、大学を出た後の就職である。地元に残りたい学生はいるが、北海道の場合、公務員以外には安定した就職口がほとんどない。大半の学生は東京方面に出て行くことになる。沖縄も似たような状況であろう。
権力や金の一極集中は、地方分権改革のテーマとされている。人材の一極集中についても、真剣に考えるべきである。地方分権を担うにも、まずは人が必要である。北海道の場合、今から十年ほど前、「時のアセスメント」を考え出した時代には、道庁にも意欲にあふれる人材がいて、地方自治を勝ち取るという雰囲気があった。しかし、その後リーダーが代わり、三位一体改革などの地方切り捨て政策によって地域がどんどん疲弊する中で、道庁も上意下達の役所に逆戻りしてしまった。日本のような中央集権や一極集中の土壌では、闘う人材を常に育てていなければ、組織も、地域もたちまち衰弱する。
食を中心とした地場産業の活性化のために、地産地消という言葉がよく使われる。人材にも地産地消が必要である。地域に愛着を持つ若い人が、その地域に仕事を見つけ、未来の地域のために貢献できるような仕組みをどう作るか。建設業が衰退し、農業が後継者難に喘ぐ今、とりあえずは公共セクターが若者の活躍の場を提供するしかない。
琉大教育学部の島袋純さんは、自治体職員とネットワークを作り、新たな分権構想を熱く議論している。これも、他の地域にはない注目すべき動きである。こと、地域人材の潜在能力、人材の育成システムに関しては、沖縄は日本の先頭を走っていると言っても過言ではない。その意味で、沖縄には未来がある。
沖縄をうらやむばかりではなく、北海道でも地域を担う人材を育て、励ましていかなければと思っている。
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