民主党の小沢代表の公設秘書が逮捕された件では、予想以上に検察批判の声も大きく、小沢氏も持ちこたえている。鈴木宗男、佐藤優両氏に対する立件と、彼らの勇敢な反駁のおかげで、検察は時として無茶なことをするというイメージが、世の中にある程度広がっているようだ。
言うまでもなく、検察は法の支配の一翼を担うはずである。しかし、日本では法の支配という概念が的確に理解されていないように思える。
法の支配とは、すべての国民が法を遵守し、正しい生活を送ることを意味するのではない。法の支配とは、もっぱら権力者の側を縛る理念である。国家権力が法を守り、恣意的な権力行使をしないことこそ、法の支配の意味である。法の支配の反対は、人の支配であり、権力者が自由に個人を拘束できる体制である。
検察は常に法に照らして厳正に対処すると言う。しかし、ある人に対しては厳正に権力を行使し、他の人の同様な事案は不問に付すという恣意的な選択を検察が行っていることが、今回の事件から浮かび上がった。
法の適用があまりに恣意的に行われるというイメージを国民が持てば、法の支配は崩壊するのである。検察が小沢資金疑惑について、政治資金規正法違反だけで決着するならば、それこそ人の支配の表れである。
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