過日、久しぶりに「朝まで生テレビ」に出て、民主党と小沢代表の進退について議論した。ゲストの政治家が言ったことは予想通りであったが、唯一失望したのは共産党議員の発言だった。彼は、検察の立件が百%正しいという前提をみじんも疑わず、小沢の金権腐敗を糾弾していた。
それが官憲の弾圧と闘った輝かしい伝統を持つ共産党の議員が言うことかと、私は呆れ、がっかりした。敵対する政党が検察に弾圧されるのは、対決する側にとってはざまを見ろという感覚なのかも知れない。しかし、いまこそ政治家は党派を問わず、明日は我が身という感覚を持つべきである。
共産党は言うに及ばず、今の与党だって、仮に政権交代が起これば、検察や警察の弾圧を受ける側に回るのである。本来は、民主党対検察ではなく、議会対検察という構図で、検察の責任を追及すべきである。
我々は何よりも、検察が正義の体現者だという錯覚を捨てなければならない。検察も所詮は劣化した官僚組織である。個々の検事は組織内での栄達を図り、手柄を挙げようとし、正義という言葉をもてあそぶ。
そうした検察官のシナリオを鵜呑みにして悪者を叩けば、当人は正義派を気取っていられるのだろうが、端からは何とも愚かに見えることを知るべきである。
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