1 次世代のリーダーを生み出す構造がない
山口 小泉以後の自民党の急速な劣化というのは、一体何なのか、というところあたりから議論をしたい。2005年の衆議院選挙で300議席をとって、自民党が栄華を誇っていたはずなのに、安倍、福田、麻生とまるで坂を転げるように自民がどんどん劣化していった。仙谷さんにとってはよその党のことではありますが、何が起こったんだと思われますか。
仙谷 そうですね。日本では金融危機が1998年に起こっている。あの時は、参議院選挙で与野党逆転が起こった直後で、当時の臨時国会は金融再生法をめぐっておおもめにもめて、自民党の幹部からみて孫のような民主党の人たちの金融再生法を受け入れざるをえなかったという事態だった。しょせん、宮沢流の麗しい資本主義というようなことではもたない時代になってきていた。つまり、グローバリゼーションの下でもたない時代になっていたが、そういう時点でのガバナンスというか危機管理をどうすべきか、という問題を自民党は考えていなかった。しかし、それもなんとかつくろってしのいできた。しのいだけれど、その直後に政治的に自自公連立に入っていった。そうやっているうちに自民党の集票構造が変わってしまって、少なくとも公明党の補完を得なければ自民党は権力を維持することが出来ないという事態になっていた。このことを自民党はあまり深く考えなかった。
小泉さんの劇場型政治は、それを自民党中興の祖という人もいるかもしれないが、一時的に別の角度から自民党をもたせたに過ぎない。98年の参議院選挙で過半数割れを起こしし、2001年の参議院選挙も自民党単独では過半数割れだった。ずっとそういうことだったのに2005年の衆議院選挙だけが違っていて、超過議席までとってしまった。それで思い違いをした。佐々木毅さんが言うように、自民党が政党のガバナンスとして次世代のリーダーを生み出す構造を作ろうとしなかったということだろうと私は見ている。
それは、民主党についても言えることで、民主党もそういう構造なりシステムを作り出してはいない。見る人によれば、田中派対福田派の対立構造を政党を移して、自民党が福田派になり民主党が田中派になって抗争をしているようなところもある。しかし、根本的に、政党の経営、あるいは政党が担う国家の経営、それから政府が担う国際政治の中での、日本で言えば東アジアをどう経営していくのかという問題を考えている政治家が少なくなって、単なる支持率とか選挙のことだけで頭がいっぱいになっている。そのために、特に与党としての自民党は日本の経営に責任を持つ政党としての体をなしえない状態になってしまったのではないか。
2 政治家とは何かという基本が崩れた
山口 おっしゃることは同感ですが、もっと根本的な問題があるのではないか。政治家とは何かという基本が崩れたと言うか、酒に酔ってまともな記者会見もできない閣僚を更迭すらできなかった中川問題が典型ですが。政党が政党としての体をなさなくなった、ガバナンスが効かなくなったということもありますが、それ以前になんでこんな政治家ばかりになったのか。
安倍のときも福田のときも、そして麻生のときも、自民党の総裁選挙はまったくの出来レースで、自民党が圧倒的多数でああいう総裁総理を選んでしまった。では他に人がいたのかというといない。要するに自民党全体がリーダーを作りだし、選ぶ能力を失ってしまったということです。政治家個々の劣化ということについてはどう思いますか。
仙谷 その通りで、なぜ小泉さんから安倍さんに変わったのかという点について論理的必然性というか総括が見えてこない。安倍さんから福田さんに代わるときも、メディアも含めて秘かなる期待は、安倍的勘違いの右端路線を、ちょっと中道に返してくれるだろうというようなことだった。しかし、これはよく考えてみると路線問題でもあるはずで、つまり対中国、対北朝鮮政策あるいは「自由と繁栄の弧」路線というのが時代にそぐわない路線であるということを皆心の中でわかっているものだから、右から中道に変わることを望んだ人は割りと多かった。しかし、そうやって路線が変わることに対する総括が自民党の中にもないし、日本政治としてもない。今度は麻生さんへ逆ぶれをおこしたわけだが、そのときにも総括がない。
自民党の代議士は、どうも人気がありそうだとか、評判がよさそうだとか、根拠なき風評に流れてしまっている。
山口 そうそう。民意を忖度して、これだったら世論がついてくるだろうというようなレベルでリーダーを選んできた。
仙谷 そんな表層の話ばかりで、この局面の時代認識から理論的、政策的にこうあるべきだという議論が表に出てこないというか、ほとんどない。個々の政治家が二世・世襲をかつぐのが都合よかったということで、また一般の国民もそういう雰囲気があった。そこへテレポリティークが重なって、どうも人気があるらしいとか、そうだという話が先に立つ。そういう人しか選べないというのは、政治家としては半分言い訳になるが、仕組みとして政治家養成機関がないからではないか。右左問わず、イギリス、フランスあるいはアメリカを見ても、ブッシュはお粗末だったけれど、リーダーシップをとる政治家はそれなりの基礎的素養がある。言葉でメッセージを発して、問題提起をし、国民に問うて国民の支持を求めるというスタイルではないと現代政治はできないということが常識になっているが、オクスブリッジがいいのか、フランス国立行政学院(ENA)がいいのか、日本の場合はそうなっていない。
山口 ハーバードがいいのか。
仙谷 それはともかくとして、しかし、少なくとも基本的な法律学的知識と、歴史学というか歴史認識と哲学、それと経済指標を見て何が起こっているかが分かるという基礎的素養があまりにも乏しい人たちがリーダーシップをとっている。海外の国際会議に行って通用したかのように思い込んで帰ってくるが、ほとんどが役人の作ったペーパーを読んでいるだけ。それぞれの価値観なり基礎的素養に基づいてのネゴシエーションや合意形成ができていない。民主主義とは何かとか、1945年以後の戦後体制、アメリカ主導であれ、国連中心体制であれ、その持つ意味をきちんとした総括がほとんど頭の中に入っていない人たちが政治をやっている。
われわれが育った環境でも政治家を作るということが意識的になされてこなかった。どちらかというと政治家はアホばかりだというようなところから始まっている。あんなものになってはいけないというような感じがあった。(笑)そのつけがきているのかな。
山口 つけがね。権力闘争がないということが問題ではないか。おっしゃるように美人コンテストのような総裁選挙ばかり繰り返してきて、本気になって闘うようなことがない。しばらく冷や飯を食って、主流派を狙って、いずれチャンスがきたら政権をとってやる。そういう根性のある政治家がいなくなった。
仙谷 爪を研ぐとかね。
山口 そういうのがなくなったというのは、自民党にとって致命的ですね。反主流派のいない政党というのは、一人のリーダーが失敗したら、政党全体がまいってしまう。その意味でもろい政党です。
仙谷 だから私は、去年からある人に言われて『池田勇人その生と死』とか『自民党戦国史』とかを改めて読み直してみたが、やはり彼らには戦略がある。そして周囲に、学者・文化人・ジャーナリストをひきつけている。こういう路線の下に政権を獲りにいこう、獲ったらこれをするぞということを考えていた。たしかに個人の欲望をくすぐるようなことも含めて激しい権力闘争があったけれど、このごろはそういうものはない。
山口 ないですね。安易に権力が転がり込んでしまう。
3 日本はまねをしてはいけないモデル
山口 次に、去年の秋以後の日本の経済社会の惨状をどう見るかということですが、私は問題は二重にあると思う。一つは、いうまでもなく世界金融危機から派生した経済危機、特に輸出依存の日本経済が大きく落ち込んだという問題、もう一つは、小泉以来世の中のセイフティーネットを低くしていくというのか、壊してきて、労働の規制緩和とか社会保障の削減とか、そういう社会の土台の部分を掘り崩したことの効果がここにきてはっきり見えてきたという問題と二つある。仙谷さんは、今回の経済危機をどのように見ていますか。
仙谷 基本的には山口さんのおっしゃっているのと同じ認識です。80年代に危機に陥った北欧と経済政策の方向がどう違っているかを比べてみるとよく分かる。あの時、北欧諸国は、失業率が10パーセントを越えるとか、8パーセント後半とか、大変苦しい状況だった。もちろん銀行も国有化せざるをえないほど金融機関もクラッシュしていくという事態の中で、かれらは公共事業をやったわけではなく、教育に特化して、新しい時代を担う人材の育成に力を入れた。これからの時代の経済は、新しい付加価値をどう創造するかによる。そのための教育しかないということだった。人口も少ないので、そういう方向に大きく舵を切れた。
日本は、前川レポートの「内需拡大」を公共事業によって内需を作り出せばいいという解釈をして、バブルを作りながら借金を増やしたという奇妙奇天烈なことをやった。途上国の開発独裁と同じことを国内的にやってしまった。この罪が98年の金融危機に結びついた。ただ、このときにはグローバリゼーションがまだそれほどでもなかったから、海外に広がらなかったし、一国的に解決しようとすればできた。そのころから規制緩和路線がでてきた。
私は、本来の規制緩和は二つあると思っている。一つは地方政府に対する規制の緩和。補助金などで地方政府に紐をつけて言うことを聞かせるなどというやり方をあらためなければならない。分権一括法を作ったにもかかわらず、定額給付金のように、形の上で地方に丸投げだけれども責任を取らないというむちゃくちゃなことをやっている。補助金システムもいまだに事業要綱に基づいて事業認可をするというこの規制たるや大変なもの。ここは改革というか緩和しなければいけない。
もう一つは、この間絶えず問題が出てきているが、事後救済(審判)型社会を作らなければいけないといいながら、それを一向に作ろうとしないこと。
また、公益法人が、行政の執行の末端なのか、予算をピンはねする機構なのかよく分からないけれども、この中間団体がやたらと非効率と無駄遣いをしている。ここも改革しなければならないと言い続けてきているが、自民党の政官業三位一体みたいなことでなかなか進まない。だから政権交代して大掃除しなければ変わらないと考えています。
山口 結局、小泉政権で改革といってもそこの部分は全然手がついていない。
仙谷 ものすごく中途半端。たとえば、郵貯バンクをみても、200兆円という国民から集めた資金を持っているが、この金が国債を持ったまま死んでいる。この危急時に、この金が市場に回らないというのは何なんだという話です。一方で5年前に郵政民営化がされて自主運用できる体制に本当になっていたら、運用先に困ってそれこそサブプライムローンとか証券化商品を買い込んで、資金の半分ぐらい吹き飛んでいるというようなことになりかねなかった。まだここで止まっているから、これから新たな郵政改革というか、この金を国民のためにどう使えるかということを考えればいいと思う。
今、本当に改革しなければならないが、日本は教会とかの社会的中間団体が乏しいから、経済的にも社会から落ちようとする人を支える仕組みを作らなければならない。それは、本当は地方自治体が中心になって分権的にやれば一番いいが、それができない。それを真剣に考えていなかったものだから、グローバリゼーションの中で、家族もほころび、地域共同体もほころび、企業「協同体」もそんな力はないといってむしろ雇用を切る方になってしまっている。
私などが地元に帰っても、これから先何をして食っていけばいいのかという問いかけがものすごく多い。日本人として地に足をつけて生きていくよすがも半分以上なくなり、かといって経済成長率の上昇と自分の生活向上に期待することもできない。非常に悩ましい事態になっている。
山口 そうですね。サブプライムから発した世界金融恐慌という問題は、日本もある種責任がある。この数年間、輸出でどんどん金儲けをして、いざなぎ越えなどと景気のいいことを言っていたが、なんのことはない、そこでためた金はまた円キャリーで外へ流れていって、いわば世界のバブルの燃料を流し続けてきた。それが膨らんで爆発した。つくづく日本の政治は、大きなお金を有効に使うという知恵がない。90年代小渕の時代は、ひたすら公共事業につぎ込んで借金だけが増えていった。今度は、未来に向けた投資に向かわないで世界のバブルを煽った。
私は先々週アメリカに10日ほど行って、ハーバードとコーネル大学で講演をしてきました。ちょうど、オバマ政権最初の政策である経済刺激法案をめぐって論戦が展開されていた時です。日本はまねをしてはいけないモデルとして、民主党も共和党もそれぞれ引用する。オバマは、官僚社会でツーリトル、ツーレートだから、アメリカは政治主導でドカンと70兆、80兆円の景気対策をやるというし、共和党はそれに反対して、日本の公共投資は赤字ばかりを作って経済の活性化していないと反対するし、両方とも日本の経験を悪いお手本として引用しながら相手を攻撃するという論争を見ていて、まことに情けなかった。
仙谷 どっちから見ても悪い例なんだ。
山口 ええ。
仙谷 オバマ陣営も選挙のとき、北欧は参考にすべき事例だと言っている。アメリカも三分の一を越える下流層を作ってしまって、ここをどう底上げするのか大変悩ましい状態になっている。日本よりも深刻かもしれない。
4 山間部に行くほど切り捨てられ感が強い
仙石 日本の場合、これまでの外需依存の経済から内需主導の経済構造を作らなければならないときに、地域の生活との関連においてそれをどう構想するかという問題意識がほとんどない。これは普遍的なモデルになるわけではないが、たとえば私の地元に帰ると、徳島市上勝町「いろどりの葉っぱビジネス」ある。自立的で外に開かれたマーケットとの関係を持ってITを使い、じいちゃん、ばあちゃんが、500万も1000万も稼げる構造を作った。また、秋田県の小坂町の同和鉱業が、環境と都市鉱山と称して、電気機器を高炉で溶かしてそこから金銀銅を取り出すとか、アカシアを植えて一度禿山になった鉱毒の町を環境で立ち直らせたとか、そういうところも少しはあるけれど、まだこれまで公共事業にひたりきっていたから次に何をしていいのか分からないところも多い。
それから、医療。アメリカはほぼ民間保険だから、医療が産業としてGDPの16パーセント17パーセントもあるということがモデルになるとは思わないが、先進国は医療とか介護についても産業として位置づけて、そこに民間ももう少しお金を使ったほうがいいのではないか。医療現場を再生させる、そこで雇用も作り出すということを考えないといけない。
それから、もう一つは、貨幣と物との関係をどういうものとして捉えなおすのかということを考えないといけない。なにか豊かさというものを物で測るというのもどうなのか。
10パーセントの成長でなかろうが3パーセントの成長であろうが、人々の生活が維持できればいいわけですね。付加価値の塊である日本のものづくりと貨幣との関係を考えないと、豪邸を作って住めればそれでいいというのも空しいし、かといってある程度の物質的水準がないと精神もなえていくという感じもする。
山口 やはり人間が仕事をするというのは、単に賃金を得るためだけではない。まさに生きることの意味を考えるというか、アイデンティティーを確保するという意味もありますからね。その意味では仕事がなくなるというのは大きな問題ですね。自民党は建設業でごまかし、ごまかししてきたのが、とうとう民間の製造業などに来たという状況だと思いますね。
仙谷 田舎へ行けばいくほど、切り捨てられ感が強い。これまで業界単位でまとめられていた自民党の支持層、建設業、医師会、歯科医師会、農協、商工会、特定郵便局長会など、ものすごく流動化している。自民党が上から大号令をかけて、「支持しないと金やらないぞ」というようなことを、役人を使っていくらいっても、昔の効き目の3分の1もない。バラバラですよ。
山口 北海道などでは特にひどいですよ。武部の地元に、この間行ったけれど、保守系の人が「武部は絶対落とす」といきまいていますから。
仙谷 山間部へ入れば入るほど、小泉・竹中の路線、それと二世・世襲のお坊ちゃんに切り捨てられて、何もしてくれないという「くれない感」が非常に強い。業種的には、一番ひどいのは歯科医師会。例のスキャンダルを起こしたこともあってか、診療報酬が全然上がらない。年収300万ぐらいの歯科医師が大勢いて、こんなはずではなかったということになっている。投資総額からすれば、収入がすくない。歯科医師会も自民党を支持しないともっと悪くなるからということで、いまだに自民党支持を掲げているが、会員はしらけて、今度は必ず自民党は負けさせるというような雰囲気が強い。建設業界も同じだ。
政権交代が起こる時期というのは、こういうことなのかなという感じがする。ただ、その時に、山口さんがブレア論で書いているように、先進国の政治は、政権を獲るであろう政治家やグループが、路線的な方向性を持ったマニフェストというかメッセージをきちんと発している。そのために党内的な政策論争、路線闘争を経て出てきている。そういう権力闘争をして党内権力を打ちたて、次は国家の政治権力を担うのだ、ということがあるから分かりやすい。
山口 そうなんです。権力闘争が、ある種路線闘争にもなるし、理念闘争にもなる。
仙谷 オバマの場合もそうですよね。
山口 そうそう。予備選挙というのも大きな意味がありますよ。
仙谷 すごいですね。日本の場合は、なにかぐずぐずっとしている。こんなことを外に向かって言うから嫌われているのですが、今の政治家たちは「沈黙の艦隊」です。物を言わないことがミスをしないことで、ミスをしないことが支持率を上げるというような、何か変な構造なんですよね。
5 「アジアとどう切り結ぶか」と「地方再生の仕掛け」
山口 それで、民主党が政権を担うという話ですが、次の選挙は、間違いなく政権交代でしょう。たぶん民主党はかなり勝つのではないでしょうか。
仙谷 300議席説が流れていると聞いています。
山口 逆300ですか。(笑)
仙谷 自民党の中堅以上の議員や選挙分析のプロと話すと、そうはいっても小選挙区は、150、150ではないかというのが多い。しかし、比例区で自民党は40とれないのではないか、という。180のうちですね。たしかに、今の支持率を見るとその可能性はある。そうするとわが党が80とすると、小選挙区と合わせて230、自民党が190ですね。公明党が30とっても与党は220。30も難しそうなので、自公で210台になってしまう。そうなると我が方も240を越えないで、過半数が取れない。あとは、無所属、国民新党、社民党、共産党が比例でかなり取ってくる可能性がある。そういうことで、ややこしい政局になる可能性がある。
山口 そうですか。まあ、連立の枠組みのような話はともかくとして、やっぱり小沢さんが総理になって何をやるかということですよね。
政策以前の段階で、政治と金をめぐる体質問題がまたしても噴き出しましたね。西松建設からの献金をめぐる検察の捜査の仕方には疑問もありますが、やはり小沢さん、あるいは民主党の一部の政治手法の古さが露呈したということも確かでしょう。政治活動には金がかかるのはわかるけれど、ゼネコンから一年に何百万、何千万円もお金をもらうというのは、国民常識からはかけ離れている。民主党が政権を取ったら、このような面での政治改革をどう実現するかが問われていますね。
仙石 日本では絶えずこの種の話が噴出します。そのことで重要な政策課題が議論されないことは大問題です。そろそろ日本の政治がこの手のスキャンダル的問題とキッパリ手を切らなければなりません。そのために、より透明化を担保する制度をつくることが一つ、それから政治家のバランス感覚を鍛え、程度と質の問題を絶えず考えること、そして、国民一人一人が政治家を育てるという文化を育む、そのためには個人献金しやすくするための税制改正も必要です。
政権の明確なガバナンスの内容、経営の方針をぴしっと出す。それから政策的にも方向性を出す必要がある。その場合、アジアとどう切り結ぶのか、関与するのかということがポイントになる。東アジア共同体ということを言ってきたが、ここでどういう共同統治の仕組みを提案し、実体的に作り出していくのかということがひとつ。
国内的には、旧社民的バラマキを相当程度やらざるをえない状況ですが、特に地方に対してそれをやる時に、教育の問題とか、コミュニティーの再生のための仕掛けをどう作り出せるのかというようなことに結び付けていかなければならない。これは、地方分権の課題でもある。
この地方分権の課題で最近2、3年やってきて一番感じるのは地方議会の問題です。
山口 それはひどいですね。お話にならない。
仙谷 いやいや。ここがもう少し地方政治、地方政府を担う一員なのだという自覚をもって、地方行政執行をきちんと監視すると同時に議会で条例を作って、その施策を理事者側に迫っていくようなスタイルを確立する、そしてそこで県民・市民がいま何が問題で何が必要なのかということを考え、その地域での総意を作っていくという営為をしなければならない。そうでないと、いつまでたっても議会も住民も、口を開けて待っているような状態は変わらない。これが日本の悩ましいところ。
山口 永田町や国会議事堂の中の多数派は簡単に替わるかもしれないが、地域レベルの多数派は頑強なものがありますね。
仙谷 ただ、これは「与党党」ですからね。基本的に。
山口 だから上が変わればついてくるという面もあるのかな。
仙谷 権力党で与党党だから。ただ、おねだりというか、待っていれば中央政府が知恵も金も与えてくれるというという体質をどう変えることができるのか。たしかに都市部を中心に、首長が議会と対峙した経験のあるところは、その萌芽は相当ある。それが全国化していけばよい。これは山口さんに聞きたいのですが、夕張市の隣の栗山町ではなぜあんな議会基本条例ができたのか、逆になぜ夕張ができなかったのか、ということです。
山口 それは、夕張は没落する産炭地で可哀そうだというステロタイプの認識があって、かつての通産省の系統の金がどんどん降ってきたから、それこそ口を開けて待っていればいろいろなことができた。考える必要がなかった。中田と言う借金を広げた市長も、「借りた金を返すのは馬鹿だ」というようなことで、いけいけどんどんで、町全体がモラルハザードを起こした。
仙谷 去年の正月もパチンコ屋は満員だったそうですね。
山口 栗山は、農業の町です。酪農をしていて、いい感覚を持っている人がたまたま議員になっていろいろ改革をしたようです。
仙谷 あそこは自民党の議長で、共産党も協力したようですね。
山口さんが定額給付金のことで2、3ヶ所で書かれたように、借金であれ、税金であれ、経済対策の財源であれ、それを決めるのが政治なのに、決めないでただ持っていけというのはどうなのか。よその国もやっていることだが、今の日本の置かれた状況からすると、そんな平板な均等割りの金を配るというのは、やっても意味のないことですね。
山口 世論が給付金に懐疑的だというのは、救いですね。それぞれの地域で、今その地域で何が必要かということを考え、もっと有効に使えという声が強いと言うのは健全だと思いますが、それに政治が全然答えていないですね。
6 政治の構想力が問われている
仙谷 戦後、国際政治の上でも、国内政治のシステムの面でも、60数年経って大きな転換期がきている。それとポスト冷戦の秩序の転換が問われているといわれるが、私もそう思う。今、公務員制度改革が問題になっていて、それほど分かりのいい議論になっていない。分かりのいいのは、天下り、渡りのことぐらいしかない。霞ヶ関が担ってきた役割が決定的に変わらざるをえない時代になったという時代感覚を持つかどうかが問われている。
また、戦後の国際秩序、すなわち国連と米ドル中心のブレトンウッズ体制が、はたしてこのまま続くのかという問題。強いドルなどといいながら、一方ではドルを刷って刷って、世界中にばら撒いて、その強いドルを維持するために溜め込まざるをえなかった日本と中国は、これからそのドルをどうするのか。自分たちも、生き残るためにはドルの危機に直面しながらやっていかなければならない。ドル基軸体制が壊れかけているが、一挙に破壊すると自分たちもカタストロフの中に突っ込んでしまうから、綱渡りのようなことをせざるをえない。この大変な状況下で、国連中心の秩序とは別な地域的秩序をどう作っていくのか。経済でも、政治でも問われている。経済的には、日本はアジアに期待をかけるしか生き延びられないということは間違いない。
山口 日本の貿易関係でも東アジア圏の域内貿易の比率が高くなって、対米貿易よりも大きくなっている。そういう経済の実態を踏まえた東アジア外交が、政治のレベルではほとんど見えてこない。特に小泉以来、日本の過剰なナショナリズムが邪魔をしているところがある。
仙谷 そう、大いに邪魔をしている。小泉以降の失われた8年とでもいうべき時期の問題は対中国関係においては大きい。たとえば、北京―上海の新幹線の問題、あるいは日本の安全な原発を中国に持っていって石炭の使用を抑えてもらうという問題、それから日中友好21世紀委員会で議論されている石炭ガス化事業を共同で推進しようという話でも、私が中国に行ってそういう話をしても、「いや、とにかく歴史認識が問題だ。靖国に行っている間はそんな話はできない」ということで、話は一切進まない。
これから先は、中国を軍事的にもどう措定するのかということを、ある程度はっきり出さないといけない。中国も日本に対して疑心暗鬼になっている。中国の軍備の近代化に対抗すると称して、日本がどこまで軍備をやるつもりなのか、アメリカをはさんで、その問題が今陰の部分で大きくなっている。
また、日本の側からすると、環境と資源の問題は、日中韓で共同事業体でも作るようなことをしないといけない。ここで資源争奪戦を中国とすることになると双方が資源国からもてあそばれることになる。それから、環境技術についても、地球環境のことを考えたら、日本の環境技術を移転して、中国でもきちんと取り組んでもらうということが重要だが、これは環境規制を強めれば生産が停滞するというような問題を突きつけられる。さらに、知的所有権の問題もある。金融の問題にしても、急速にドルを抱えたものだから、中国も大変だ。それならば、そのドルを日中で拠出して、アジアIMFのようなものを作れば、あるいは共通通貨制度を作るということを考えれば、アジアの金融は、EUのように地域的に安定させることが技術的に可能だと思うが、どうもそういう話にもならない。
山口 やっぱり、政治の構想力が問われているわけですね。自民党からはそういう構想力は出てこない。そこを民主党に期待したい。2010年は、日韓併合から100年の節目の年です。民主党が政権の座についていれば、これをきっかけに、朝鮮半島に対して和解と共同の未来戦略を作るよう呼びかけてもらいたいと思っています。
仙谷 もし民主党政権が出来たら、よりアジアとコミットメントして、アジアの中で生き抜いていくというコンセプトをきちんと出さなければならないでしょう。
山口 では、この辺で。
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