民主党の小沢代表の政治資金をめぐる問題が勃発して以来、政局は奇妙な無風状態が続いている。しかし、この間重要な問題が次々と日本を襲った。そして、政策課題をめぐる議論について、何とも情けない内外の断層が明らかになっている。日本は情報を鎖国し、国内だけで内向きの論争をしている。こと、言論に関しては、日本はガラパゴス化しているように思える。
たとえば、北朝鮮によるミサイル発射事件はその筆頭である。確かに、北朝鮮が核兵器を搭載できるミサイルを開発することは、暴挙である。しかし、あのミサイルはあくまで長距離のものであり、日本にとって直接の脅威ではない。迎撃体制を取った日本政府の対応は、ピント外れのものであった。
さらに、自民党の一部の政治家が核武装だの、先制攻撃だのとわめくに至っては、笑止千万であり、日本の政治家の低能ぶりをさらけ出したようなものである。大半の日本人は、自国が多数の原発を持ち、核燃料サイクルを開発することについて、何ら疑問を持っていない。しかし、国際原子力機関(IAEA)の核査察に関する予算のうち、3割は日本に対する査察に使われている。日本がこれだけの核燃料を持っていることに対しては、それをいつ核兵器に転用されるか分からないという、厳しい懐疑の目で見られているのである。
仮に、日本が愚かな政治家の言うように核兵器を開発したらどうなるか。世界各国は日本に対する核燃料の供給を停止し、日本の原発はストップするであろう。また、核を持った日本は、北朝鮮の何十倍の脅威として、アジア各国やアメリカから敵視され、世界の孤児になるに違いない。北朝鮮が大嫌いなはずの右翼政治家は、核武装を唱えることで、自ら進んで日本を北朝鮮の同類にしようとしているのである。
ソマリア近海の海賊対策のために自衛隊を送り出し、これを奇貨として集団的自衛権に関する政府見解を変更しようという動きも出てきた。既に自衛艦が他国の船に接近した海賊を追い払うために威嚇を行ったことが報じられている。一旦海外に出動すれば、現場の自衛隊は一人歩きをするものである。誰もが反対しない海賊対策を突破口に、憲法9条を実質的に変更しようなどというのは、政治的な詐欺に等しい。
海賊の取り締まりに日本が参加することには誰しも異論はないだろう。既に、海上保安庁は東南アジアで各国と協力して海賊対策を行っている。ソマリアについても、その延長線上で対応を考えれば十分ではないか。たとえ海賊対策という名目があっても、自国を守るための自衛隊という大枠をはずすべきではない。
日本がどのような国として国際的な信用を得てきたのか、世界は日本にどのような役割を期待しているのか、もう一度謙虚に振り返るべき時である。一見勇ましい議論が国を孤立に追い込むという教訓をかみしめるべきである。
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