小沢一郎代表の辞任は、民主党が政権交代を目指すために不可欠であった。しかし、小沢を中心とする政権交代を支援してきた私にとっては、なんともやるせない結末である。民意による政権交代という革命の実現まであと一歩に迫りながら、身を引かざるを得ない無念さは、察するに余りある。
私は05年の総選挙の少し前から、小沢と政策や政権交代について踏み込んだ話をするようになった。私も小沢もそれぞれの誤りを反省し、新たな政権を目指そうと語り合った。
93年の細川連立政権の崩壊以後、日本政治は長い回り道を続けてきた。そのことについては、小沢にもっとも責任があった。細川政権に亀裂を走らせたこと、自民党に対抗するべき新進党を崩壊させたこと、いずれも小沢の辛抱のなさが大きな原因である。
小沢について、ぶれている、変節しているという批判もある。私に言わせれば、政権交代という最大目的に照らして政策の優先順位をつける点で、最近は一貫している。小泉時代の新自由主義が社会を荒廃させた以上、「生活第一」こそ野党のとるべき政策だ。アメリカによる一極主義的軍事行動が破綻した以上、国連中心の国際協調が必要となる。小泉以降の自民党政権がもたらした負の遺産を直視し、自民党と明確に対決するために、小沢は平等と国際協調という価値を民主党の看板にした。自民党と連立を組んでいた10年前からは想像できない変貌であるが、小沢の変身によって民主党は自民党の左側に足場を置き、政策的差異のある二大政党制が出現したのである。
ただ、民主党をそのような対抗政党に仕上げるという作業について、小沢の力業にあまりに頼ったところに限界があった。党内論議を通して理念を幅広く共有するという作業を小沢は避けてきた。民主党が本物の対抗政党になったかどうかは、むしろ小沢退陣後に問われるのである。
小さな政府論者や軍事的積極論者は、小沢体制の中では押さえ込まれていた。今後小沢の退陣とともに、民主党内では基本政策の方向をめぐって論争が再燃するかもしれない。しかし、民主党が政権を取るためには、3年間の小沢体制で達成したことを土台にするしかない。一昨年の参議院選挙では、新自由主義と改憲志向の当時の安倍政権と対決し、「生活第一」という旗印で大勝を収めた。数カ月後の総選挙でも、この路線をさらに推し進めることしか、政権交代の道は開けない。
小沢について、古い政治の象徴だという批判もある。確かに、小沢の政治資金の集め方は、旧態依然という印象がある。新しいスタイルの政治を志向する民主党の中で、小沢と若手の間に反目が生じた。若手の中にはどぶ板政治をばかにする向きもあるが、小沢の説いた、地域を徹底して回り人々の声を聞くということは、民主政治の原点である。次に誰が民主党のリーダーになるにせよ、この原点を見失ってはならない。
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