民主党の代表交代も決着し、九月までに行われる総選挙に向けてカウントダウン状態となった。麻生太郎首相は、政局より政策と言って解散を先送りしてきたが、その言い分が通用するのも補正予算が成立するまでである。中身はともかく、五月末には補正予算が成立する形勢なので、後はさっさと解散総選挙を行い、民意を問うべきである。余命幾ばくもない現在の衆議院議員が、国民の将来の生活、日本のこれからの進路を左右する大きな問題を決めるべきではない。
選挙を戦うに当たって、メディアは各政党にマニフェスト(政権公約)を示せと求めている。もちろん、これから政権を取ったら何をするかを国民に明確にすることは、政党の責任である。特に、今度の総選挙は、自民党と民主党の支持が拮抗し、戦後政治史上初めて、二大政党が政権を賭けて戦うという選挙になるので、政権構想を準備することは重要である。具体的な政権構想を掲げて選挙で勝利すれば、それが国民の意思になるという大きな正統性を持つ。官僚の抵抗を排して、予算配分の優先順位を変更したり、地方分権を断行したりといった課題については、選挙前からの仕込みが必要である。
とはいえ、マニフェストを競う選挙というかけ声を聞くと、綺麗事に過ぎるという違和感もぬぐえない。というのは、そもそも現在の衆議院における自民党の圧倒的多数は、二〇〇五年総選挙で小泉純一郎がマニフェストも政権公約もお構いなしで、郵政民営化という単一争点で国民をたぶらかした結果、獲得したものだからである。
あれから四年の間、この衆議院は何をしたか。公約であった郵政民営化を実現したのは当然としても、それ以外には国民に対して約束も予告もしていないことを次々と決定した。後期高齢者医療制度の導入、教育基本法の改正など、国民にとってはだまし討ちの連続であった。まさに、小泉やその周辺の自民党議員は、リフォーム詐欺の張本人であった。メディアや識者が、マニフェストが重要だというなら、まず、この衆議院の任期中に与党が何をしたかを検証し、そのマニフェスト無視の姿勢を厳しく糾弾するのが先決である。その点を不問に付すなら、またしても選挙に勝つためのスローガンとその後に実施する政策とが無関係なまま、勝った政党が好き放題をするという悪習が続くことになる。
選挙での選択基準は二つある。一つは、これからどのような政策を実現する政党に政権を託するかという基準である。もう一つは、過去の政権の実績をどのように判断し、これに及第点をつけるか、落第点をつけるかという基準である。その組み合わせ方は人によって異なるだろうが、私自身はこの総選挙を二〇〇五年選挙の復讐戦だと考えている。小泉純一郎及びその後継者が行った政治的詐欺を断罪することが、この選挙の最大のテーマである。
民主政治にはしばしばデマゴーグが現れるものである。しかし、二度騙される国民は馬鹿である。国民を騙した政治家の責任を追及することなしには、民主政治は機能しない。小泉自身はさっさと引退を決め込んでいるが、国民は自民党の責任を忘れてはならない。野党の戦闘能力も問われている。
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