解散総選挙が目前に迫ってきて、大きな政治課題にじっくり取り組むという雰囲気ではない昨今である。地方分権推進委員会も、誰を相手に改革提言をするか見極めようという雰囲気である。それはやむを得ないとしても、最近の分権論が第1次の分権推進委員会の時代と比べて、焦点、標的を見失った散漫なもののように思うのは私だけであろうか。誰もが反対しないシンボルを、論者がそれぞれの意味づけで主張し、一見大きな世論が盛り上がっているように見えて、実は、政治的な推進力が存在しないという状況が今の分権をめぐる世論の現状ではないか。
似たような話は他にもある。増税を議論する前に歳出の無駄を省けと誰もが言う。では、歳出の無駄とは何か。実は、ある人から見れば無駄にしか見えないものが、別の人にとっては必要不可欠なものという例も枚挙にいとまない。北海道では支庁の再編成を進めようとしている。今の支庁制度は交通通信の発達した今、過去の遺物のように見える。とはいえ、過疎地にとっては道の出先機関が地域最大の雇用源であり、その撤廃はたちまち地域社会の存亡に関わる。
つまり、何が無駄かを定義することは、不可能に近い。無駄を省けと言われれば、北海道の過疎地に人が住むことが最大の無駄になってしまう。歳出の無駄を省けという議論が続く限り、福祉国家に向けた国民負担の見直しは先送りされ、人々が貧弱な社会保障のもとで難渋することになる。さもなくば、財政赤字が増え続けるしかない。
地方自治に話を戻せば、今、道州制や二層制への移行など、壮大な国制改革を論じることにはあまり意味がないと思う。それよりも、次の政権の下で五年のタイムスパンの中で具体的に何を実現するかという議論をした方が生産的であろう。特に、非大都市圏の地域の疲弊を止め、地域社会の持続可能性を回復するための財源保障、補助金の一般財源化こそが、次の分権のテーマだと考える。
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