6月18日、衆議院で臓器移植法の改正案が可決された。移植手術を待ちわびる人々にとっては朗報かも知れない。しかし、この問題は、総選挙直前の国会で滞貨一掃という格好で処理するには、あまりにも重大である。
私自身は、もし脳死状態になったら臓器を提供したいと思っている。ただ、子どもによる臓器提供を可能にするという今回の改正については、疑問を呈さざるを得ない。親による子どもの虐待、暴行は、今では珍しいことではない。暴行によって殺された子どもから臓器提供をするとなれば、移植を急ぐあまり死因の究明が後回しになるということはないのだろうか。
移植治療に一縷の望みを託す人の思いに応えることは政治の務めである。しかし同時に、人の命を扱う医療行為について、抜け道をふさぎ、公明正大さを確保することも政治の役割である。
少なくとも、この問題は任期切れ直前の衆議院議員がバタバタと決めるべき話ではない。まして、衆議院解散との駆け引きの材料に使うなど、以ての外である。たとえば、総選挙後の国会で、半年という期限を区切って議論し、結論を出すというのも、1つの方法ではなかろうか。
安全保障や経済についても同様である。正統性を持たない麻生政権に重要な政策を提案する資格はない。問題を先送りするのも1つの見識である。
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