本書は、一九七三年の長沼ナイキ基地訴訟で自衛隊違憲という判決を出した福島重雄判事の回想と、それに先立つ裁判所の左傾化をめぐる政治的攻撃で裁判官の世界がどう変わったかに関する関係者の座談会の二部からなっている。当時若手裁判官だった人々も高齢化した今、まず史料の保存という意味で本書は重要な意義を持っている。
一審判決とはいえ正面から自衛隊を憲法九条違反と断じた判決は、政治や世論に大きな衝撃を与えた。しかし、この判決を出した福島裁判長は、むしろただひたすら法の支配を追求する法の番人であった。当時から既に、自衛隊の合憲性という政治的問題については国会、内閣の判断に任せるべきという統治行為論を政府側は唱えていた。また、札幌地裁平賀健太所長からも同種の判断を求める書簡(平賀書簡)を送られ、福島は大きな圧力の下にいた。しかし、「統治行為論は結局、政治に追従する理論でしょう。そんなものに追従しているようでは法の支配とはいえないのではないか」と考え、あえて自衛隊の合憲性に関する実体的判断に踏み込んだ。
違憲判決が引き起こした世間の騒ぎについても当惑し、「当たり前のことを当たり前のように判決しただけなのだ」と日記に記している。第二部に収録された証言や資料からは、当時、このような政治的問題を扱う裁判官に外部から有形の、また裁判官の世界の内部から無言の圧力が加えられ、司法の独立を担おうとした良識的裁判官がいかに苦悩したかが伝わってくる。そのような文脈において、あえて法の番人に徹した福島の判断力に驚嘆する。
あの判決から三六年、憲法九条をめぐる政治状況は大きく変化している。ともすれば憲法理念と現実との間の懸隔を見失いがちな今、法の支配と司法の独立を淡々と実行した先人の足跡を読み返すことには大きな意味がある。
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