民主党のマニフェストが発表され、財源問題が大きな争点になっている。民主党は無駄を省くことでかなりのお金を調達できるとしている。私は、これを非現実的とする自民党とは違った意味で、民主党の主張に疑問を持っている。結論から言えば、無駄がゼロの国なんかには住みたくないということである。
だれがどう見ても無駄という経費は、実はそう多くない。政策の無駄とは、ほとんどが相対的なものである。無駄の典型のように言われている道路にしても、地元には切実に必要だと信じている人がいる。何が無駄かをめぐる論争は、価値観の違いを反映したものになりやすいので、簡単には答えが出ない。また、出すべきでもない。
民主政治においては、無駄をめぐる議論には、答えを出しきれない曖昧な部分が残るのが当然である。無駄を撲滅することを徹底するならば、たとえば終末期医療にかけるお金など無駄だということになるだろう。過疎地や高齢者、障害者など、経済的効率の足を引っ張る部分も切り捨てろという話になりかねない。
相対的無駄を縮小するためには、政策の優先度を図る価値観の尺度を明確にしなければならない。道路を減らすにしても、自動車依存の交通システムから脱皮するという新たな理念で反対者を説得する必要がある。
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