選挙に向けて政策論争もさかんになってきた。その中でどうにも奇異に見えるのが、マニフェストの採点である。こんなことをしているのは日本だけである。何事も点数化したがるという昨今の競争主義の風潮が政党政治にも波及したかと暗澹たる思いである。
マニフェストをどう評価するかは、読む人の価値観抜きには語れない。新自由主義的な競争社会を好む人にとっては、たとえ財源面での整合性が取れたものであっても、福祉の拡大を謳うマニフェストは0点である。逆に、人間の尊厳を回復してほしい人にとっては、規制緩和や福祉の縮小を叫ぶマニフェストは0点である。したがって、仮に点数をつけるにしても、その政策がどのような価値観に基づくかを明らかにしなければ、有権者に対する情報としては意味を持たない。
今回の選挙戦について、政党、政治家が、目指すべき国家像、社会像を語らないという批判がよく聞かれる。それは、細かい数字や整合性を過度に強調するマニフェスト論議が政党を萎縮させた結果である。
政治において何より重要なのは、国民が抱える問題の中で何を真っ先に解決するかという目標設定である。政治家にとって不可欠なのは、何をしたいのかという意志である。偏差値秀才の討論ではなく、政治家の志を問うような論争を聞きたい。
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