民主政治とは革命を制度化したものであり、1票の力で権力者を更迭すること、そして昨日の少数派が今日は多数派になるというダイナミズムが、その本質です。日本は戦後、新憲法をつくり議会政治や婦人参政権など制度の民主化は進みましたが、担い手に関しては1955年以降、自民党が権力を独占してきました。その意味で半分の民主主義だったのです。今回、国民の手で権力を代えた経験は、日本の民主政治の歴史の中で初めての、画期的なことです。
300議席を超える津波のような民意の変動を見て、これが本当に適切な判断の結果だったのかという疑念はあります。4年前の郵政選挙で自民党を大勝させた根のない民意が、今度はたまたま民主党に向いた、という面も否定できないでしょう。しかし、政治の変化を待望する民意はずっと以前から続いていたことを忘れてはなりません。
89年にベルリンの壁が崩れ、一党支配体制の社会主義諸国が崩壊しました。同じころ、日本でも右肩上がりの経済発展が終焉。少子高齢化や人口減少など、100年単位の大きな社会的・経済的変動が襲い、適切な政策を打ち出す必要性が高まりました。官僚の機能不全も露呈し、自民党に代わる新しい政治主体の出番を求める欲求が国民に広がったのです。
しかし、自民党に取って代わる勢力はなかなか育ちませんでした。2000年には「密室の談合」で首相が誕生するなど、自民党の耐用年数切れがはっきりしました。ところが小泉純一郎首相が登場して国民の不満を巧妙に受け止め、従来の自民党を否定することで延命させる、というアクロバットを演じたのです。その集大成が郵政選挙でした。新しい政治主体を求める欲求は十年来のものであり、今回ようやく実現したと言えるのです。
さらに、小泉があったからこそ国民は別の報告の政策を選択したのです。小泉政治は市場メカニズムを拡大し政府の役割を縮小することで、従来の自民党・官僚による国の統治を転換しようとしました。ただ、国民は社会保障費の削減などに直面し、生活の基盤を脅かされるに至りました。市場任せの自由放任で国民が幸せになるなら政府は要りません。傷つき倒れる人、不利な立場の人のためにこそ政治はあります。こうした政治の原点に戻った上で、国民は公共領域の回復を求め、新しい政権を選んだことに大きな意味があるのです。
有権者は自民党を罰したのであり、民主党を前向きに期待して選んだわけではないのでしょう。しかし、郵政選挙で敗北後、小泉政治への対決姿勢を鮮明にし、小沢一郎前代表の下で「生活第一」という別の選択肢を提示したからこそ、政権交代につながったのです。
今後、二大政党制が根付くには、民主党も自民党も社会の土台をどう再建するかが問われます。もし、民主党政権が見るべき成果を挙げられず国民が幻滅すれば、政党政治自体への不信感は極まり、扇動的な手法の政治家が登場しかねないのです。民主党はそれだけの緊張感を持って、政権交代の意義を国民が実感できるよう、政策転換の実を上げてもらいたいと思います。
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